dalle’s blog

大体音楽と馬と個人的な記憶の記録にシフトしていくようにしています

お祭りにおける馬の虐待と私が考えること

発端の映像ツイートからずっとみてましたが、朝のニュースに取り上げられ、記事になるまで1週間くらい。拡散の規模に対してかなり早いピックアップだと感じました。

https://m.huffingtonpost.jp/2018/09/24/uma-gyakutai-douga-viral_a_23539628/?ncid=fcbklnkjphpmg00000001

自分が馬好きなので悲しいのもありつつ、ちょっとだけ冷静に考えてみたのですが。

 

まず、競馬は良くてこれはダメなのか、という意見について、自分が勉強したり感じたりしたことがありながらも、確実に言えるのは、馬と人の間にきちんと信頼とコンタクトが生まれなければ馬は走らないです。言うことなど聞きません。競馬の残虐性を直接否定するだけの知識を持ち合わせていませんが、毎日馬の様子を見て、調教して、寄り添って、技術のあるジョッキーが乗るから走るのです。

 

次に、お祭りに必要なパフォーマンスだと言う点について、馬を見てもらう行事は沢山ありますし、競技もあります。馬は賢い動物で、覚えるのが遅くても、覚えたら忘れないと、私は学びました。(瞬発的な判断が必要な草食動物が、いちいち物事を覚えるのが早い必要はないと思います。毎度毎度考えるより、本能に従うべきなので。)手の動きや棒の合図、あるいは軽い鞭で合図を送るだけで充分、覚えたことを再現できます。

 

今回の人間のしたことについて本当に残念なのは、信頼関係を築いて、コンタクトをとり、お互いがスムーズに目標を成し遂げる努力をしなかったことです。それをしないから、性器をむりやり掴んだり、無駄な鞭打ちをする必要がでてくるのでしょう。

 

・馬が望んでないことをしている。
・これはこういうもので、こうするのが祭りの人気を支えている。

どちらの意見も否定する気はありませんが、まだ人間の方にできることが多くありました。それをサボって無理を聞かせたのだから、私は人間の怠慢だと思う。

 

馬ははっきり言って鞭など痛くないと思います。ただ、痛くても痛くなくても、自分に悪意が向けられてることはわかるのでは、と常々感じます。馬だから良くて人にはダメということはないです。逆も然りです。

 

同じ人間だったとしたら嫌でしょう?じゃないんです。
受取手側が石であろうと水であろうと、己としての善悪は揺るがないものなのではないでしょうか。もちろん、善悪観は時間によって変化はするでしょうが、対象によって変わるという事は、飲まれているということ、観念ではないように考えます。

 

この人たちが同じように鞭打たれればいいのに、という意見についても、上記の意味でちょっと自分とは考え方違うな、と感じます。