dalle’s blog

大体音楽と馬と個人的な記憶の記録にシフトしていくようにしています

生かされている馬と私

最近乗るようになった馬がとても攻撃的だ。

これはおそらく臆病とか敏感とかいうところから来てるんだろうけど、今までで彼が一番怖い。威嚇はする、体当たりはする、噛みつく。すぐに耳がきゅーっとなってぴりぴりモードになる。嫌だなあという気持ち、でもやらなくちゃという気持ち、心配な気持ちが混ざるから余計馬に不安を与える。良くないと思いながら、でも、心配な気持ちはどうやったら拭えるんだろう。

心配な理由は、やっぱり馬は人間に愛されないと生きる道がどんどん狭くなるから。ここのクラブでずっとこうだったら?みんなが乗りたくないっていったら?彼はどこに行ってしまうんだろう、と思うと「少しずつ、頑張ろう、一緒に慣れよう」という気持ちになる(そして威嚇されてもとに戻る…)。「生かしてる」というつもりは毛頭ないけど、社会性がとても強い動物だから、野生であっても自分だけでは生きられない。今は人間の社会性の中で生きている。だから淘汰するかどうかを人間が決めてしまう。

私だってそうで、人間の社会の中で生きている。皆が生きる上で社会に与えた余力に頼って生かされているに過ぎない。皆の余力が少なくなったら。ちょっとずつ支えて行く社会が薄くなっていったら。人間だってキレイごとだけは言ってられないと思う。余力の中で生かす優先順位はどうしたってつけざるを得ないはず。ノアの箱舟に誰がのるか、選ぶ時がくるということ。
そうなってもおかしくないのに。誰かのものを盗らなくて済んでいるのは、誰かがそれを悪と教え、必要ないように生きる力を辛抱によって与えたから。誰かを殺さずに済んでいるのは、また誰かがその意味を説き、理解を教えたから。そしてご飯が食べられて、雨風をしのいで寝起きができて、好きなことまでできるのは、みんなの余力の中で生きられているから。
ありがたいとか、私もそういう人間に、とかそういうことではなく、単純に、生かされている。生かされている上に、社会に人間にしてもらっている。ある程度身を任せていれば、まずもって死ぬこともないんだろう。

生きられている間に、わあ、生きといて良かったなあ!と思うようなことがいっぱい起こるといいと思うし、沢山の生きている人にも起こるといいと思う。

ちょっとずつの余力で皆がちょっとずつ生きて、良いことが起こるなんて、この世は凄いところだ。


あの馬にも良いことが起こりますように。