dalle’s blog

大体音楽と馬と個人的な記憶の記録にシフトしていくようにしています

【後編】モンゴルに行ってきた!

[5日目]コンタクト

ここで最後の朝ごはんもいつものメニューだった。でも特別、焼き立てのケーキがあった。朝から豪勢だ。

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この日は最後の乗馬。しかも午前中だけ。午後にはここを出なければいけない。今までと同じように食べて、準備して、いつもの場所に集まった。


馬の近くまで行くと、モンゴルでの伝統的な馬の捕まえ方を実演してくれるとのことで、衣装を着た方がスタンバイしてくれていた。長い竿のようなものにロープがついているだけの簡単なもの。これを持って馬を追い、首に縄をかけて捕まえる。

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群れを追って片手で自分の馬を操りながら狙いを定める。周りからほかの人間も馬を追い込んでいく。捕まった馬以外の個体がサッと退き、首に縄をかけられた馬がおとなしくなる。素人目にやっとここで成功したことがわかった。両の手で自分だけを支えて操るのがやっとの自分からしたらスピードもさることながら圧巻の技術だった。

ショーの後、技術者はバイクにまたがって帰っていった。こういう、「そこは馬じゃないんかーい!」というのがちょいちょいあったけど、逆にわざとらしさがなくてよい。見たいのは演出ではなく、暮らしに根ざした技術だから。


いよいよ最後の乗馬に。先日の体調の懸念があったので今日は無理に全部を走らないで、距離を測ってから駆歩をすることにした。相棒の調子は良くも悪くもない感じ。でもやっぱり少し慣れてきていたのか、最初よりは落ち着いている。

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最初の駈歩。馬が歩くところからトコトコ速歩を始めたところで手綱で制限をじわじわかける。馬はそれ以上早くならない。昨日はここで爆走していたので、なんだかいい感じ。前の馬たちが見える位置で走るのをやめたので残りの距離を駈歩させる。手綱をゆずって「チョ」と前進の合図をかけてやるとすぐに駈歩に切り替わって距離を詰めてくれた。ひとまず自分が意図したことが成功した。嬉しい手応え。

少し歩いて2回目の駈歩。まだ走らせない。速歩。速歩。我慢させる事で置いていかれるので、先を行ってしまった馬に、私の馬が嘶く。走りたかったに違いなかったけど、まだ走らせない。

馬も耐えている。

距離が見えた。

手綱をゆずる。

もう合図を送らなくても馬はゆずった手綱を感じて走り出し、私の「チョ」の合図で確信を得て力強く駈歩した。

乗馬を長くやっている人からしたら笑われるかもしれないけど、私はこの馬と「手綱でコンタクトが取れた」と強く感じられて、涙がどんどんあふれてきた。馬とコミュニケーションを取りながら走ってみたいと、このモンゴルに来た時にみんなの前で話した。決して約束したから、それが達成できたから泣いたわけではなかった。馬が大好きなのにクラブで難しい馬に当たるたびに心が折れた。こんなに好きなのに、どうしたらいいのかわからなかった。人と人だって、こんなにコンタクトを取るのは難しいだろうと思う。それなのに、この馬は4日の内に学習し、理解をしようと努めてくれた。今群れに置いて行かれんとする不安を堪え、私の指示を聞いている。私はいったいぜんたい、どうしてあんなに世の中のあらゆることを諦めてしまっていたんだろう。こんなに私に向き合ってくれる存在があるというのに、自分の形を確かめることばかり毎日やって、自分をどこかに置いたり、ピースをはめてみることをしなかった。一瞬のうちにこの馬が教えてくれた。色んなものがほどけていって雫になって汗と混じった。

こんなことを寸の間考えていると、馬が少し轍からそれて草むらを走り始めた。草むらはネズミの掘った穴が多く、躓きやすくて危ないので轍に誘導してやる。通常であれば手綱を開いて行きたい方に引っ張ってやるところ、片手だけで操作して轍に寄せて行く。馬は無理のない速度で轍に戻った。

コンタクトが取れたことが幻でないことが、強く記憶に刻まれた音がした。私の脳にも、草原に伸びるこの轍のような痕ができたに違いなかった。

そのあとの駈歩も私の指示を聞いて良く走ってくれた。人馬一体とは、こういうことなんだという快感が内からじわじわと自分を熱くした。

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復路では今回の参加者が全員集まって坂を駆け上がり、写真に収めてもらうことになっていた。目的地につくと20頭以上の馬が近くにいることになり、私は少し不安になった。密集しているほうが危ないし、何か起きやすい。馬同士がちょっかいを出すこともあるし、何せ私の相棒は止まっているのが苦手。少し止まらせては右に旋回させ、左に旋回させ、また落ち着いたら止まらせ、むずむずしたら少しだけ歩かせて右に、左に、少ないスペースで動かしてやる。

私は正直、もう自分の馬に意識が移入してしまっていたので、ほかの馬がちょっかいを出して来たら私もムッとした。やめてくださいよ、という気持ちで、ただしそれは明らかに事故が起こることが怖いというより、「私たちの間に入ってこないで」という気持ちだった。ほかの参加者の方に笑顔だけを向けられなくて少し申し訳なかった気もした。多分なんだかんだ言って余裕もなかったけど。

坂道は程よいスピードで無事駆け上がり、そのあとそのままほかのチームのメンバーと戻ることになった。

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もうさほど距離もなかったので危ないとき以外は特に指示をしないで馬に任せた。羊の群れを無理やりどかせてスタート地点に近づくと、途端に皆小走りになり、嘶き始めた。往路、あれだけ私を感動させてくれたのにやっぱり早く帰りたいか、そうだよね、と、妙な安心感で最後の乗馬が終わった。最後、そうやって笑って馬を降りられて本当に幸せだった。


最後の食事、昼食のメインはツナのスパゲティ。そういえばここで出た最初で最後の魚だったかもしれない。そもそも肉中心の環境の中で、こうやって私たちにあわせた食事を出してくれたことを本当に感謝しながら、すべて美味しく頂いた。


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そのままお別れの時間。と、その前に同じゲルで5日間を過ごした3人でゲルの前で写真を撮った。本当にストレスなく過ごすことができたのはこの2名の存在が大きく、毎日を十分に楽しめた。

バスの前に集まると、現地のスタッフが、そして2人の青年スタッフが馬に乗って待っていてくれた。


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ここで皆で写真撮影をした。本当に皆、良い笑顔をしていて満ちたものが帰る前からすでにあふれ出しているみたいだった。

バスに乗り込んでさよならを言った。皆がモンゴル語手帳のようなものを真似してさよならを伝えていた。ここにいた5日間、ずっと日本語で過ごすことができたので、私は言葉を覚えなかった。感謝の気持ちを伝える言葉を持ち合わせていないなんて、と、とても後悔した。

そうしている間に車輪が動き、速度が徐々に上がっていく。ああ、はやかったな、でも充実していたな、よかったな、と思いながら、ふと見るとバスの両側を馬に乗った青年たちが追いかけてきてくれていた。まるで恋人を乗せた電車を追いかけるように、馬を走らせながらこちらを見てさよならを伝えてくれている。

走馬灯とは良く言ったものだと思う。数日のことが一挙に押し寄せてきて、止められなかった。涙がぽろぽろこぼれた。すっきりなどしない。後からあとからこぼれていった。

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長く走ってくれたあと、馬と青年たちが止まって本当のさよならになってしまった。もう唇が震えて声が出なかった。隣の人が「とんでもないツアーに来てしまったね」と言っていたけどほんとにそうだと思った。思い出しては涙し、落ち着いてはまた泣き、を繰り返した。ウランバートルにつくまでの間そうやって過ごしていた。

 

首都に入ると一気に交通量が増えた。建物も多くなり、人々もオシャレで外国人向けのレストランも多くある。ここは当初の都市計画を上回る居住者を抱えるのに苦労しており、発電所やマンションなどを作っていた。こういうインプットは現地の添乗員が凄く良いタイミングで話してくれる。吸収がはかどる。

バスの中、窓側の席が暑い。


目的地で降りて、予定の最初は市場を回ること。建物の中にある生鮮食品や雑貨が並ぶ場所へ立ち寄った。

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草原と違って都市はやはり暑い。都市の暑さがある。東京の暑さと田舎の違いもこんな感じかもしれない。生鮮食品は野菜から肉から売っており、雑貨はなんと日本の百円均一も入っていた。私はモンゴルの塩を買ってみた。料理でどう使えるか、楽しみに。

次は添乗員おすすめのウールのお店へ。モンゴルは寒い土地、ウールなどの商品は質がよくとても暖かいと聞いていたので、祖母へのお土産を買うのにちょうど良かった。

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ただ、このタイミングでまた少しめまいのような感覚があり、この後のデパートでの買い物、レストランでの食事はキャンセルして先にホテルに戻してもらうことにした。現地の女性添乗員がまた付き添ってくれる。前日の熱中症でも付き添ってくれた方で、私は彼女に本当に頭が上がらない。


ホテルは日本人を中心として外国人向けのようで、日本語が話せるスタッフがいたので1人で行動していても全く困らなかった。ただ、部屋が暑い。冷房もない。必要がない国だから当然だ。窓を開けて、体を冷ますのに先にシャワーを浴びた。少し横になってホテルのwi-fiを拾いながら休んだ。少し体調が戻ってきたので、ホテルのみやげもの店で買いそびれた分を買い足した、というタイミングでほかのメンバーもホテルに戻ってきた。

皆が心配して声をかけてくれた(ほんとすいません)。ホテルはツインで、相部屋はゲルで同じだったメンバーだったので非常に気が楽だった。翌日が早い時間の出発で寝る時間があまりなかったにもかかわらず、部屋で少しおしゃべりをして過ごした。


[6日目]日本についちゃったらしい

朝、たしか5時ごろ起きたのだかなんだか、かなり早い時間に起きて準備をした。荷物をまとめてホテルのロビーへ向かうと、みんなも同じように集まってきた。点呼を取って荷物を詰んでもらい、外に出た。暑い。日本のような、朝の涼しさのような感覚はあまりない。夜の熱がそのまま残っているみたいだった。

バスの中で空港までの数十分、めいめい、旅の感想と感謝を現地のスタッフに向けて話した。中には涙がまた出る人もいて、つられてしまいそうになった。私は本当にみんなのおかげで無事に旅が終えられた、ということを話した。

空が白んで来るさ中、空港についた。荷物を降ろし、現地スタッフから最後のコメントをもらった。落馬事故もなく、ライトなチームもふくめ、みんな駆歩ができて良かった、と話していた。馬の事故は最悪の場合死ぬこともある。大けがもありうる。落馬事故がなかったのは本当に良かったことだと私も思った。

荷物を空港で預ける。並んでいる間も旅の終焉を肌で感じてじわじわと悲しくなっていた。と、同時に血圧が下がっているのも感じていた。連日の疲れかもしれない。添乗員と会話をするタイミングがあったのでそのことも少し伝えながら、後は日本に帰るだけだからリラックス、と声をかけてもらった。


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いよいよ搭乗ゲートに向かう。現地のガイドともここでお別れ。みんなでそれぞれにさよならを言った。私は連日の体調不良についてくれた女性のガイドに特にお礼を言い、ありがたかったことを伝えゲートに向かった。


そのあとは30分ほど自由行動で空港内の土産物屋やカフェでの時間を過ごした。私は歴史的/美術的な展示物が少しあったのでそれを眺めながら体力の温存に努めていた。そういえば空港のwi-fiがあったな、と思って繋いだはずみでtwitterを開いた。怒涛の日本語が目に移って一気に血が廻った。なんとtwitterで体調が一気に良くなってしまった。皆は革製品やウォッカの小瓶などをお土産に買ってきていて見せてくれた。


そうこうしているうちに搭乗の時間になった。時間があると思っていたのに意外とあっという間で、気づくと、あっさりと飛行機の席に座っていた。ただ、飛行機の出発時刻が遅れた。私たちの頼んだブランケットも遅れた。まさか私たちが頼んだブランケットを取りに行って遅れてるんじゃないでしょうね、と隣の人と会話していた。


地上から離れてしまってからは、行きと同じように機内食が出たり映画を見たりした。あまり食べなかったけど、おいしそうだった。なんだか帰りの機内食はイマイチとの情報を得ていたので、拍子抜けした。

出発が遅れたけど到着には影響はなかった。日本の上空を飛んでいるとき、美浦のトレーニングセンター(茨城にある調教施設)が見えると同じ列の人が教えてくれて、はっきりと見ることができた。最後の最後まで馬尽くし、最高だなと思った。


その数十分後、私は成田についてしまった。わあ、成田、ここが成田空港か、という変な気持ちになった。降りてからも本当にここが日本かわからなかった。だからと言ってモンゴルだとも思わないのだけど、そもそも日本であるという確信を、私たちはどうやって得ているのだろう。

荷物をとる前にまたゲートがもちろんあったんだけども、驚くことに顔認証だった。人のチェックではなく、顔写真のページを開いたパスポートを画面におき、顔を機械で認証するとゲートがあく。顔認証がこんなところでこんなに大量に使われているなんて知らなかったので、ハイテクだなあと本当に感心した。


荷物を取ってからは、添乗員が少し今回の旅のことを話してくれた。やはり天気がずっと良く、印象的な旅だったようで、そんなツアーに参加して本当に良かったなと思えた。そのあとも私の体調を気遣って(Twitterで回復していたけど)声をかけてきてくれた人がいて本当に嬉しかった。みんなで連絡先などの交換をして、空港でそのまま別れた。


どうやって家まで帰るか迷ったけど、来た時と同じルートをなぞることにした。どこから帰ってきてもそうだけど、一人の帰り道はどうしてこんなに無機質で空っぽなんだろう。帰ってきた記憶が抜けていて、ほとんど覚えていない。帰るまでが何とやらだというのに、家に着くまでのことはインプットされなかった。


帰ってからはすぐにシャワーを浴びて荷ほどきをした。空港で交換した連絡先に写真を送るなどしながら、凄い洗濯物を満面の笑みで見ていた。私はお洗濯が大好き。帰ってきてからのひそかな楽しみだったので存分に3日ほどかけて味わった。


その後も1週間にわたりメッセージの交換や写真のやり取りが続いた。私は渋谷の真ん中でその知らせを受けて、立ち止まってはそれをみた。それを見ている瞬間、やっぱり胸が熱くなったし、感覚として、渋谷にいることのほうがウソだった。


素晴らしい旅だった。不思議な旅だった。モンゴルという国に確かに私は6日間いた。でもモンゴルのことは何も知らないまま。

多分、ただただそこにいるだけ、という極上の時間だったからだと、今になって無と満への思考が回り始めた。

 

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【ありがとうso much】

風の旅行社さま

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