dalle’s blog

大体音楽と馬と個人的な記憶の記録にシフトしていくようにしています

【中編】モンゴルに行ってきた!

[3日目]モンゴルを下から見るか上から見るか

また朝起きて少し散歩をした。ただ、興奮が落ち着いてきたのか先日よりはすこし寝入っていた。モンゴルの人はこんな素晴らしい景色なら早起きしちゃうだろうなと最初は思っていたけど、慣れてしまうと眠いものは絶対的に眠いし、幻想に過ぎなかった。


朝はまたおかゆやあげ菓子が出て(私はここのあげ菓子が大好き)、前日とは違うなめらかなバターが出ていた。食卓のそこかしこから「現地の何らかの動物の乳のバターなのでは」という期待が高まったすぐ後、「ウランバートルで買ってきました!」という回答がもたらされ、瞬く間に伝達された。


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この日は朝、牛の群れなどが比較的近くまで来ていた。あまりにあちらのほうに警戒心がなく、心配と不安が若干入り混じった、興奮しづらい不思議な気持ちになった。


午前の乗馬の前、ゲルのメンバーと話した折、昨晩は少し消沈した気持ちはあったけど、いろいろ気づいたことがあったじゃないか、私たちはそれだけ知っていることがあるのだから自信をもって乗れるのだ、いつも通りやれば大丈夫だというささやかな決起がおこり、私は大いに励まされ、今日は「馬を信用する」ということを念頭に乗ってみることにした。なにせこの地では絶対的に馬の方が土地を知っている。先輩に対して少々敬意を欠いていたように思いもした。


この日からレベルを考慮して分けられたグループごとに乗馬に出発した。乗ってすぐ手綱の角度を変えてみた。やや高めに、拳を前に、馬の口角に沿うように手綱が張るようにしてみた。うん、なかなか良さそう。馬も快適に歩いているように見えた。少しして軽速歩で走るタイミングが来た。体が上下に揺られる感覚が、感覚というか視覚的に見ても絶対そうなんだけども、これが小刻みにくる。びっくりして一旦馬に座った。が、座ってもいられない。なんだこりゃ。鐙の上に立っていられないどころか、速歩のペースが速すぎて、いつものように立ったり座ったりできない。いつも通りやれば大丈夫だと言ったじゃないか。「モンゴルの人は馬が走るときは立ってます」と言っていた意味がようやく分かった。だって鐙をしっかり感じながら立っているしかない。それ以外に体をうまく支えていられなかった。


走っている途中にジープに乗った陽気な外国人(注:自分も外国人)がやってきた。インストラクターが言うには競馬のレースの関連車らしい。競馬は日本のような会場を走るものでなく、30km耐久のようなレースで、この近くでそれが行われているとのこと。大きなジープが去った後、ふと丘の斜面を見ると猛禽類がちょこんと座っていた。木がないので地べたに座っている。とたんにバカっぽく、座る場所が違うだけで威厳が壊滅的に失われており、途端にペンギンが鳥類だということに納得がいった。


なだらかな丘を登り切って休憩している向かい側に、沢山の馬と車がみえた。先の陽気なジープ集団で、馬を変える場所らしかった。

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その脇では馬の乳を搾っている遊牧民がいた。馬乳酒を作っているそうで、2時間に1回絞るらしい。絞るときは仔馬のほうを繋いでおき、親が離れないようにしておくとのこと。とにかく大変な重労働だ。

復路はすこし駆歩が出た。私は乗馬クラブでまだ駈歩のレッスンをし始めたばかりだったので「うおっ、これが駆歩か…!」と、認識するだけでひとまず精いっぱいだった。


昼食にはモンゴルうどんのほかにご飯と「やいたぶた肉」が出た。うどんはこの厨房で打ったものだそうでさっぱりしていておいしく、やいたぶた肉は本当にやいたぶた肉だった。俄然食える。


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この日は伝統料理「ホルホグ」にするための羊を解体するとアナウンスがあった。私はしばらく見させてもらうか、ゲルの中で横になって考えていた。あけ放ったドアの先には草原だけが見えており、絵画が飾られているようだった。

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やはりなんとなく、解体を見ることにした。モンゴルの羊の解体は血を1滴も床に落とさないのだという。私はほかの人が言うような「感謝をする」とか「見るべきだから」という感覚より技術のほうが気になって見に行った。

直接的な描写は避けるけども、それは本当に技術的で、何よりも羊に対する―決して哀れみなどではなく―謝意のこもったものだった。羊を捌くその最後の時、前か下しか見てなかった羊を仰向けにして空を見せてやる。羊はそれで喜ぶ、と。字面だけ見れば綺麗ごとに見えるかもしれないが、実際の解体を見ればそれが「本当の綺麗ごと」だということがわかる。何も無駄にしない。解体は1時間近くかけて行われた。


夕方からまた馬に乗った。すこし手綱の位置を変えることで要領を得てきたこともあり、初日よりもお互いにストレスが少ない状態で歩けた。ただ、まだ歩くべき道を歩かず脇にそれたりほかの馬にくっついたりする。なかなか厳しい。とはいえ、道々、あの見つけられなかったネズミなども目に入るほど余裕ができ、何かの動物の残骸もいくつか見た。オオカミがいるのは本当なのだろう。

この乗馬の時間で、結構な岩場の丘に登ることになった。馬は登るのがしんどそうで息を大きく吐いている。私も傾斜に堪えるのに集中して馬の負担を軽くすることに余裕が割けない。なぜそんな、進化した中指だけで立っている身で人を乗せて歩けるのか途中から不思議で仕方なかった。私が自分の10分の1、5キロ位の子を肩車してこの傾斜を登れるだろうか。しかしそこは「馬力」。馬は登り切ってくれた、よく頑張った、と思った瞬間、

そこには絶景が広がっていた

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見渡す限り緑。平地にみえる影は、空に浮かぶどの雲が作ったのかがはっきりわかる。平原を見おろす気分は「最高」という言葉ではあまりに画一的すぎて、その美しさに涙が出た。人生にはまだ感動できることがあるんだと、それにも感動し、あの、昨日全く御せなかった馬にのってここまで来た自分にも、馬にも感情が沸き立って、ああ、なんて日だ!と大きく息を吸い込んだ。その感情の傍らで馬は草を食み、大地はただ風を受け入れている。私だけが私に訴えかけていた。


夕食は先にも書いたホルホグがメインだった。現地のスタッフにも大変なごちそうだそうで、なぜかわからないけどケーキまで出た。


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おなかが緩くなりやすいのでほどほどに、と添乗員が助言してくれた。日本で食べる羊はそもそも薄い肉で、こんなにスペアリブな羊は食べたことがなかった。風味はワイルドだけど、匂いが強いということはあまりなかった。私は骨付き肉がでると必ず肉と骨の間の薄皮まで食べる。もちろんこの晩もそうした。


夜は流星群が凄いとのことだったので寒いのをおして外に出た。寝ころんでみたくなったので、みんなでレインウェアを羽織ってカイロをポケットに入れた。寝ころんでみると視界いっぱい、星になった。どの星にも目移りして、途中、本当に星を見ているのかわからなくなった。


[4日目]ゆずる、ゆずらない

朝から犬と遊んだ。この犬、ほかの人とも良く遊んでおり、よく突撃してくる。

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汚れるのが嫌な私はいつも遠巻きに見ていたものの、撫でられすぎて毛づやが良くなってきたせいか抵抗がなくなった。非常に賢い犬で、遠くに散歩に行った人をきちんと視野の中に入れて観察している。そういえば初日の乗馬の時もついてきていたし、素晴らしい番犬だと思った。遊牧民の犬はみなオオカミ対策にやや凶暴なので、見つけてもむやみに触りに行かないように教えられていたけど、この子はやはり人なれしているんだねとみんなで話していた。

その3時間後、この犬はよその遊牧民の犬で当ツアーとは関係ない旨が告げられ、これも瞬く間に伝達された。


朝ごはんはいつものラインナップに「ハイルマグ」というものが出た。乳に小麦、砂糖を混ぜ、干しブドウを加えて焼いてある。そのまま食べてもパンに塗っても甘くておいしい。


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ただ、私はこの朝食は少し食欲がなく、初めて食事を食べきれなかったばかりか、腹が緩くなった。まあ緩くなる程度、出ないより良いだろうと思った。この日は朝から風がなく、暑かった。


朝の乗馬は「手綱をゆずる」ことを重点としようと決めた。引っ張りすぎない、ただし、馬のわがままにもさせない。昨日の乗り方を鑑みるに、ちょうど良い目標だと思った。

そしてこれが功を奏し、自己最長の駈歩を走るときにとてつもない爽快感をもたらした。時速20km超。視界は道と前の馬だけ、常に先を見て走っている。自分の馬を信用できている。口が笑い、息が早くなる。それに加えて、馬に発信の合図を声で「チョ」と送ると、私のほうに耳を傾ける。指示をきいている、と、かなり強い手ごたえを感じて非常に嬉しかった。ただ、私の馬は置いていかれそうになるとぐんぐん走る。やはり単独は不安なのだな、と馬の気持ちをすこし垣間見た。


この日は違う岩場の丘にのぼった。昨日よりも傾斜が強いように感じたけど、登り切った後の眺めへのワクワクと、この馬は絶対に登ってくれるから、という安心感があった。無事に登り切り、この日も景色を楽しんだ。

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ふと横の丘の傾斜を見ると私たちとは関係のない馬が親子でたたずんでいた。ガイドに聞くと、高い場所は涼しいのでこうやって登ってくるそう。へえとおもって往路のための準備で順番に騎乗し始めた。

その時、私の馬が私を乗せた状態で暴れた。ほかの馬と喧嘩になり、座る状態になった。両方ともなかなか離れず、ゆずらない。ここは傾斜で小さい岩がゴロゴロとしている。落ちたら平地よりダメージは大きい。何より、対抗馬が自分の左側にいる(右側にいたら、そのまま左側から降りられた)ので絶対に降りられない。慣れない右側から降りようものなら鐙が抜けず、暴れた馬に引きづられて大惨事になる。一瞬のうちに考えて、馬が立ち上がってくれることを信じて鐙を踏み、落ちないことに注力した。馬が立ち上がった瞬間、左側にいた対抗馬と自分の馬の馬体の間に左足を思い切りはさまれ、すぐに外側の腱が痛んだ。帰りにきちんと鐙を踏んで乗っていられるか不安だったので、痛くて無理だったらインストラクターに伝えることにした。言っておくけどもこれはどれだけ注意をしていても起こるときは起こる。誰の不注意でもない。


残念ながらここで不穏が終わらなかった。なんとインストラクターの馬具が緩み、落馬してしまったらしい。後ろを振り向くまで気づかなかった。馬が驚かないよう、大きな声を出さないようにしてくれたのかもしれない。衝撃が大きかったようで、歩いて引馬で帰ることになり、もう1人のインストラクターが全員を先導した。私の馬も首振りが酷くなり、雲がなく、熱い日差しから逃れられない時間が長く続いた。

ようやく出発地点が見えてきたとき、私の馬は嘶き、俄然速歩になってきた。彼が集中してくれているほうが楽なのでほっとしたのもつかの間、引馬されているはずの馬が自分だけでやってきた。引馬しているはずの人間がいない。暴れて馬だけ走ってきたのかもしれないが、この馬が私たちの中に突進してきて一色即発の事態になった。馬に乗っているインストラクターが慎重に近づき、捕まえ、ほかのスタッフも馬に乗ってやってきた。緊張度の非常に高い乗馬の時間になった。


昼食はバンタンスープとカレーが出た。カレーは昨日の羊をダシに取ったもので、羊の肉も沢山入っていた。カレーはなぜか食える。


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食べ終わるとみんなでモンゴルの民族衣装を着せてもらい、写真撮影会を行った。私は左足が痛むので添乗員から冷やすものをもらったりしながらも楽しく参加した。女性の民族衣装には一筆書きのデザインが入っていて「ウルジーヘー」というらしく、幸福がずっと続くように、という∞のような意味があるそう。

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また、男性も含めて帯をかなりきつく締める。これは馬上で内臓が揺れないように強く締めるんだとかで非常に勉強になった。そのあと、現地のインストラクターの駆歩デモンストレーションが行われてさっそうとした姿にみんな何度も声を上げた。3テイクもやってくれた。

腹が下っている。


夕方は「遊牧民のお宅訪問」の予定だった。左足も何とかなりそうだし、せっかくのお宅訪問、おみやげも持ってきているのでなのでいくっきゃない!と強気で挑んだ。それにまた、午前中味わった駈歩の快感を味わいたかった。来た当初の「走られたらどうしよう」という気持ちは消え去っていて、むしろどこまででも走りたい気持ちになっていた。

インストラクターも良く走らせてくれた。私もそれについて良く走った。途中喉がすごく渇いたけども、興奮して口を開けて乗ってしまっているんだろうなと思い、どうせ降りられないのでやり過ごした。7キロほど走って遊牧民の方のお宅についた。


3つか4つのゲルの内、1つのゲルに通された。端に長机と椅子が準備してあり、向かい側の端にはなぜかベットがあり、中央にはお父さんが競馬でもらった賞などの装飾品が並べてあった。お決まりの馬乳酒と、お菓子を回してもらい、少し落ち着いたころ、めまいがした。なんか、まずいかも。これ、このままだとバタンと行くかも。でも人の家だしどうしよう、せっかく来たのに、つうか来た日本人が倒れるとかなくない?と葛藤しながら我慢してみたが一向に良くならない。水も体に入っていかない。

だめだ、と思ってたまたま同行していた添乗員に「熱中症っぽいです」と直訴した。するとたまたまグループにいた2人の医療従事者が「顔色が悪い」といいだし、たまたま向かい側にあったベッドに寝かせてもらうことになった。本当に申し訳なかった。凄い調子に乗ったな、という後悔と、旅前の体調を崩したらどうしよう、と思っていた気持ちが一気に押し寄せてきた。その反対側から、この重なりまくった「たまたま」に対して凄いラッキーも感じていた。変な風だけど「倒れるならここ」と、段取られた気がした。皆が一生懸命あおいでくれて、水を飲ませ、塩のタブレットを舐めさせてくれた。おかげで良くなり、帰るかどうかの判断をするとき、車で帰ることもできると言ってもらえた。あと2kmだし、馬を走らせなければ帰れるかな、と悩んだけども、馬上で気を失ったら周りを巻き込む大惨事になる。申し訳ないまま、遊牧民の方のお車に乗せていただき、ゲルに戻った。

きっと昔の私だったら意地でも我慢してしまったと思う。ここで起こったことは申し訳なかったけど、直訴できたことはとても良かったと思っている。


少し横になったら割とすぐに元気になった。夜は馬頭琴の演奏会が開かれる予定だったし、外で食事を摂ると聞いていたので、参加できそうで安心した。

シャワーを終えると食卓が早めに囲まれていたので急いで席についた。ここでの最後の晩餐はおそらく「ホーショル」という揚げ餃子。この日はビールを飲んだりしている人も多く、イベントへの期待が高まる。

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そしていよいよ馬頭琴の演奏会がスタート。ご近所からも演奏を聞きに来られてオーディエンスが多い中、馬頭琴ブラザーズが登場。


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構成は馬頭琴×2、太鼓1。うち2人は昼間は一緒に馬に乗ってくれていた人達だ。この日は月が見えていて、なんだか良い緊張感があった。曲のタイトルや意味を現地の添乗員が通訳してくれる。演目は"飛べる馬の歌"から始まった。

馬の脚の緩急が感じられるリズムになっているらしく、1曲目はやや軽快。リズムが出しづらい音楽なのでは、と先入観があったものの全くそんなことはなく、馬頭琴そのもので刻む時は右手の弓で軽く弦をたたくように演奏するなど、十分にリズムを感じた。左手は弦を直接抑えているのだと思ったら爪で横から押していた。個人的には楽器の大きさに対して出音が太く大きくはっきりしていると感じた。

2曲目以降は歌も入ってややダークな曲も演奏され、横笛も登場。日本の曲を含め計8曲のセットリストを完走した。直後、もちろん熱烈なアンコールとともに手拍子が入り、ブラザーズの再演をみんなが熱望。この声に応えて2曲が演奏された。1曲で終わらないタイプのグループであったことがちょっとプロっぽい。

その後集まってくださった方たちの中から歌が上手な方がアカペラを披露してくれた。それに併せて周りの現地の方も歌う空間はいい意味で完全アウェイで、知らない歌の団結力に包まれる不思議な感覚に陥ることができた。この後は私たちの世話役であった現地の女性が「○○サン、ウタイマスヨ~!!!フウ~!!」とあおりまくり、3曲の歌が披露された。

是を宴と呼ばずして何と呼ぶ。酒を飲まない私が「いや~、飲んだ、食った」という気分になった。満たされた。馬に乗ってばかりいて忘れそうになるけど、なんだかんだ音楽は体の芯から好きだ。


この日の夜も、この場所での最後の星をみた。皆で同時ににあと1つ流れ星を見たら寝よう、あと1つ、あと1つというのを繰り返し、よそ見をして見逃した仲間とゲラゲラ笑った。

もう明日からこれはないんだと思うと寂しかった。また見逃した。余計にゲラゲラ笑った。