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【うつ状態】仕事に復帰する

仕事を休んでから2か月後、仕事に復帰した。予定通りの復帰で逆に周りが心配しているように感じるほどだけど、今のところは休む前のような症状は出ていないし、気分も悪くない。
復帰に当たって、会社を含め、いろんな人と会話をした。

まず、担当医と相談した。2か月の予定終了を目前に、会社と話をするか、仕事をするならどうするかを話した。とりあえず休職期間を延ばすまでは行かないけれど、仕事をするなら時間を短くしてもらったり、満員電車を外して出勤して徐々にならそう、ということになった。自分でもそういう風に考えていたし、担当医も賛成してくれたので自分の意思を固めることができた。

次に、友達や家族に話した。このとき、ほとんどの人が私に「少し早いんじゃないか」と言ってくれた。でも、それと同時に「顔色が良くなったね」とも言われた。自分でも顔色が良くなっているのはすごく良く分かっていたので、他人からもそういう風に言われて回復を確信した。

最後に会社の人間と話をした。私はこの会話をするにあたってすごく構えて「戦闘態勢」に入っていた。復帰するにあたっての私の希望にNOが出たときにどうするか。辞めなければいけない結果になったときにどうするか。考えたり調べたりして、診察の清算明細書や処方された薬の説明書などもすべてそろえて持っていった。

結果は肩透かし。会社はとても良く話を聞いてくれた。

人事の担当と話し、そのあと現場の人間と話す段取りになっていたけれど、最初は短い時間からならしたほうがいいのではないかと言ってくれたのは会社のほうからだったし、心配なことがあれば何でも言って良いと言ってくれた。辛い日は遅刻/早退したり、休んだりしても良いとも。安心したけど、あまりにも構えすぎていたので怖くなった。めちゃくちゃ減給されているとか、降格させられているからこんなに甘いんじゃないかと勘ぐってしまうほどだった(そんなことなかったけど)。
結果、1週間は短い時間で勤務、そのあと体が慣れたら通常勤務に戻ることになり、今は通常勤務中。仕事の量も以前に比べたら格段に減っているし、周りの人間が増えている。ある程度環境が整った上で復帰できた。

ただし、最初の1週間はやっぱりきつかった。1日外にいる体力があっても、本を読む集中力があっても、周りにたくさんの人がいて、不規則に会話したり電話が鳴る環境はやっぱり神経が疲れたみたいだった。しかも、凡ミスが多い。校正の目や感覚が衰えていることは明らかだった。

ここで挫けたり、やっぱり私はダメなんだ、と思う人もいるかもしれないけれど、私の場合はいろんな人が声をかけてくれて「焦らなくて良い」と言ってくれた。担当医も、上司も、同僚も、友達も。だから、きっと少しずつ良くなってもとに戻るんだろうな、と思いながら今仕事をしている。現に、本当に少しずつだけど戻ってきている感覚はあるし、疲れも薄くなってきた。

私がこんなに早く復帰できたのは周りの人の支えがあってこそだったと思うし、自分が周りの意見を素直に聞けるようになっていたからだと思う。
今のところは順調そうに感じている。これが続けば良いなと思う。

【うつ状態】濾しとられた「嫌だったこと」

体調が少しずつ改善してきて体力が戻ってきて「何が一番嫌だったか」ということにだんだん気づき始めた。何が原因でうつ状態になったのか、とはまた別の話で、その過程で一番嫌だったこと、という話。うつ状態になるときは、複合的な理由が原因になっているし、しかもそれ自体を思い出すことも考えることもできなかったので、今回、絶対的に心に留めておく必要があるものに気づいたんだと思う。

結局、私が今のところ一番嫌だったのは「心ないことを言われたこと」だった。体力がなくなるほど働いたことでも、サービスしすぎたことでもなく、言われたことが心にこびりついて離れない。

その人は何の気なしに言っただけかもしれないし、私も自分の疲れからそれを重く受け止めてしまったのだと思っていた。でも、油が紙を通して濾されて行く間のような、さらりとした感覚はないものの、確実に体と心が濾過されて行った結果、「言われたこと」が残った。

嫌なものは、どんなに疲れていようが、元気でいようが、「嫌」で正解だったんだ。私の施された教育と価値観で感じたことは、私にとって正しかった。私は私の感じたことを「感情的」と思わず、「価値観」として判断してよかったんだ。

ただ、言われたことは消えないし、言ったことは消えない。だから、これからはできるだけ、嫌なことを言われたら「それは嫌だな」と意思表示することが必要だと思っている。そしてそれを相手にも許すこと。これを伝えない限り相手は同じことを言って来るし、「嫌だと思った」「嫌だと思われた」という事実がどんどん増えて行く。時には喧嘩するのだって必要なのかもしれない。

私は今、この濾しとられた「嫌だったこと」に少し心を支配されている感じがする。さらに悪いことに当の本人が近くからいなくなってしまったので殴ることも責めることもできない。イライラして、不愉快だ。
意思表示をしないとこれが何度も訪れることになる。

当面の感情は、きっと吐き出すことで楽になるとは思う。だから、今後は心に留めて、うまくこれを回避したいけど…できるかな。

【うつ状態】行って良かったところ/やってよかったこと

 

メモに。
人によって合う合わない、得意不得意があるのであくまでも個人向け。
「寝るしかない」状態の時には無理して何かをする必要はない、ということを念頭に置いたうえで「何か」の助けになるように。

≪家の中で≫
◆料理を作ること
 ⇒料理を作るには材料を準備して、量を把握し、下ごしらえをして調理して盛り付ける、というところまで作業が必要で、頭を使うのでリハビリ・回復にとても良い。エネルギーがないときは得意料理でも良いが時間がかかるものが好ましい(何もしていない、という時間が少なくなるので虚無感が少なくて済む気がする)レシピとしてはパンなどの発酵が必要なもの、スペアリブなどの味の漬け込みが必要なもの、ポトフなどの煮ている時間が長いもの。下ごしらえの時間が長い(工程が多い)とそもそも取り掛かれなくなる可能性が高くなるので「何もしないけど調理が続いている状態」のものが好ましい。

◆洗濯
 ⇒1日のリズムが立てられない時は洗濯から始める。服がなければ布団のシーツやカーテンを洗う。さっぱりした気分になるし、汚れた部屋では新しいことをやろうという気にならないので、少しずつでもやっていたほうが良い。掃除も同じ。

◆映画・ドラマを見る
 ⇒映像配信サービスなどで見たかった作品を見る。特にドラマは観始めると「明日もまたみよう」と必然的に明日のことを考えるようになる気がする。

≪外で≫
◆本を読むこと(外で読む)
 ⇒読みたい本を公園に持っていって読む。飲み物や、寒いときには軽い上着などが事前に準備できているとなお良い。音楽は案外ない方が良いような気がする。

◆本を読むこと(図書館で読む)
 ⇒家の近くの図書館で読む。もしくは、会社の近く、それと同じくらいの移動を行った先の図書館で読む(復職前のリハビリで毎朝会社の近くの図書館に行っていた)。テーマはなんでも良く、子供向けの本でも良い。迷ったら好きなことや動物の本、食べ物の本でも良い。例えば「チーズ」一つとっても、歴史や図録、レシピ、それを題材にした本など、山のように本はあるので図書館に行くまでにどんな本を読むか決めておくと図書館でも億劫にならなくて済む。とくに「好きなもの」の本を読むと学びが多く、収穫したことによる満足度が高くなる。

◆体を動かすこと(軽)
 ⇒散歩をする場合は1時間程度。行くあてがなければ、カフェをなどを見つけておいてそこに通うのも良い。お寺や神社はどこにでもたくさんあるので、そういった場所を巡ってみるのも良い。

◆体を動かすこと(重)
 ⇒ジムに行く。1日空いている場合は朝から行く(集中しやすい)。ノートに毎回記録を残してどの程度続いたかを見ると達成感が得やすく、目標が立てやすい。

◆ネイルをする
 ⇒あまり人のいない公園などがあれば外でも良いと思う。気持ちいいし、早く乾く。風のない日に。凝ったものでなければベンチで十分。

これがサマになってくると時間が「足りない!」と思う用になってくるので、そう感じられるようになって来たらほぼほぼ回復OK!
外に行くときは自分が家で飲みなれているものを持っていっておくのが良い。パワーがないときは喉が渇いて「飲むものを探す」「新しい味を受け入れる」のにもエネルギーを使うので、お茶やコーヒーが手元にあると楽に1日を過ごせる。

【考察】自分の良いところを認める

自分の良いところを見つけて認めるのはなかなか難しい。
こと私に関してだけで言うと、良いところを見つけられないどころか認めない。
「認めたくない」に近い。しかも自分に良いところがあるように思いたくない。

認めたくない理由が長年わからなかったけども、ようやく見えて来た。
これは、「成果物をすべて自分の努力によるものにしたい」「だれよりも努力したと思いたい」という心の欲求だった。

たとえば、「足が速くなりたい」という目標があったとする。この時、達成値を100とすると、こんな風なハンデ加点が考えられる。(個人的な加点例!)
・走るのがそもそも好きだ:20点
・走るのに適した体格で生まれてきている:30点
・教えられたことをノートにきれいに整理できる:30点
・良いコーチや指導者がいる:20点
・前向きな考えで練習に耐えられる:20点

などなど。
もちろん「恵まれていたところ」もあるけども、例えば前向きな考えができるところは「いいところ」。
この加点ハンデがあると単に点数式にした場合、100に達するまでに努力して獲得していく得点が少なくなる。
私は「努力獲得得点100」が好きで、そうでありたかった。自分は、0からできる人間だと思いたかった。
だから逆境で力を出しやすいタイプだったし、ある程度の年齢やレベルまではこの考え方がむしろ歓迎されていたように感じる。

ただし、これは"他人が上限を決めたレース"の中でしか通用しない。
自分がこうなりたい、ここまでうまくなりたい、という考えには100という上限はむしろ「妥協」でしかなく、終わりがない。
さらに100に近づくにつれて100は遠くなり、今まで努力してきた得点は小さくなる。

私は「歌がうまくなりたい」という目標があるのでこれを達成するためにいろいろな努力や工夫をする。自分の好きでやっていることだから続けられる。
とはいえ、進歩が遅いときや思い通りにならない時、いやになることもある。
状況としてはスランプだったり、体調が思うようにコントロールできなかったりといろいろなことが考えられるけど、これに「自分の良さを認めない」というものが加わることがある。
私の喉は歌う楽器としては非常に扱いやすく、質が良い。また、体も響く体を両親からもらい、ある程度のところまでは自分で思い通りにできた。
その代わり、私はサボることを無意識に身につけてしまっていた。喉が動くからと言って適切な歌い方を学ばなかったり、御座なりにした。最低なことに、私はそれに気づいていた。すべてを自分の努力得点にしたいと言いつつ、自分が持っている「良いところ」を直視しないことで自分の成長を妨げた。
さらに最悪なことに、それを他人から指摘されることになる。恥ずかしくて情けなくて仕方なかった。

自分の良いところやハンデは素直に認めないと次へは進めない。
悪いところは見つけやすいけど、いろいろなことを認めることで次に進みやすくなるはず。
自分で自分を認めることでもっとなりたい自分になれるんだろうな。

【考察】ストレス解消/好きなことの種類

ストレスを解消するのには様々な方法があると思う。
お酒を飲んだり、スポーツをしたり、ひたすら寝る、なんかも。
私はこのストレス解消と好きなことについて大きな勘違いをして生きて来た。

◇好きなことってストレスが解消されること?
私は好きなことをしていればストレスが解消される、活力がみなぎる、なんでも頑張れるようになる、と思っていた。
参考までに私が好きなことはこんなこと

-音楽を聞くこと
-歌を歌う練習をすること
-バンドで練習すること
-ライブすること
-ライブに行くこと
-乗馬すること
-競馬をみること(賭けはしない)
-本を読むこと
-美術展に行くこと
-動物園・水族館に行くこと
-料理をすること
-美味しいものを食べること
-ジムに行くこと
-暖かい布団で眠ること
-洗濯ものを晴れた日にいっぱい干すこと
-珈琲を飲むこと

大体仕事をしていない時間、これらのどれかをずっとやっていた。料理を作る、眠る、という日常的なことは日常的に行いつつ、休みの日、あるいは時間があればジムに行ったり歌の練習をしていた。
私の生活は四六時中「好きなこと」で埋め尽くされていたし、埋め尽くしていた。だから私は「これだけ好きなことしかやっていないのだから元気ではつらつとしていて『当たり前だ』」という自論に達していた。
世の中、「好きなことをやっているひとは輝いている」が定説なので、私も、輝いているかはさておき、嫌なことなどないはずだと思いながら生きて来た。

でも、それが実は違う、ということを知った。

◇貯蓄型・放出型のストレス解消
とはいえ、ストレス解消は好きなことで行うことが一般的だと思う。私は虫が大嫌いだけど、ストレス解消のために昆虫図鑑を読んでみようかな、と思うことは難しい。というか、ない。
だから、好きなこと≒ストレス解消方法であるのはなんとなくわかる。
ただし、それらは「貯蓄型」と「放出型」の2種類があると気づいた。

貯蓄型…ストレス解消として好きなことを行った後、心エネルギーが貯蓄されるもの。
放出型…ストレス解消として好きなことを行った後、心エネルギーが放出されるもの。

私の好きなことをこれらに当てはめてみると

【貯蓄型】
-音楽を聞くこと
-ライブに行くこと
-本を読むこと
-美術展に行くこと
-動物園・水族館に行くこと
-料理をすること
-美味しいものを食べること
-暖かい布団で眠ること
-洗濯ものを晴れた日にいっぱい干すこと
-ジムに行くこと
-珈琲を飲むこと

【放出型】
-歌を歌う練習をすること
-バンドで練習すること
-ライブすること
-乗馬すること
-競馬をみること(賭けはしない)

に大体分類できる。これは人によって違うと思うし、感じ方は様々だからあくまでも一例。
私はこの「放出型」に時間をかける傾向があり、ストレスは解消されながらも心エネルギーがどんどん消費されていった。かたや、貯蓄型のストレス解消法をあまり実行しなかったために、心のエネルギーは貯金を切り崩しながら私を支えていた。
これを繰り返していると、実はストレスが解消されているはずに「なにかしたい」の根源になる心エネルギーがなくなってしまい、ショートしてしまう。
しかも、この心エネルギーは通常の生活によってもどんどん放出されている。私は「好きなことをやってストレスを解消できているのにどうしてふさぎこんでしまうんだろう、力が沸かないんだろう、と思っていた。

◇放出型のストレス解消法は必要か?
じゃあ、心エネルギーを使ってまでストレス解消ってする必要あるのか?というところになる。私はうつ状態になってからは「貯蓄型」のストレス解消法≒好きなこと を重点的に行った。
ただ、そのうち「放出型」をやりたくなってくるタイミングが出る。これは「認知」「上達」「解決」などのステップアップや目的を伴う事柄をやりたくなった時だ。
この欲求は放出型でしか満たせない。なので、そういった欲求がなければ貯蓄型のストレス発散方法でも十分だと思う。
私は上昇志向が元来強く、良くなることが好きだ。だからどちらのストレス解消方法も必要だ。
…今後は心エネルギーの貯金に余裕ができているかをきちんと自分で気を付けておく必要があるな、と思っている。

【うつ状態】経過と振り返り

会社を休んでうつ状態に対する治療を始め、もうすぐ2か月になる。
当初の予定では2か月の休養だったのでそろそろ職場に復帰するかどうか、というところだけども、日に日に良くなっている実感がとてもある。

経過は以下のような感じ。
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1週目:疲れと薬の合わなさでほぼ1日中寝ている。不快感から食事がとれず痩せる。
2週目:薬を変えたことにより起きていられる時間が多くなった。解放感からいろいろなことをやり始めてしまう。
3-4週目:2週目は薬が効いたわけではないと医師に言われる。その通りで、1日の内に昼寝をしないと過ごせなくなり、億劫になる。ただし、だんだんと気力が戻ってジムに行ったり、軽く外出できるようになる
4-5週目:1日中起きていられるようになる。味覚が戻って食事が美味しい。半日を家で過ごし、半日を外で過ごす生活を行う。
6-7週目:いまここ。起きるべき時間に確実に起き、1日中外にいる生活をする。家事や用事が「1タスク」だったのに対し「ついでレベル」の行動力になる。楽しいことを楽しいと思えるようになる。楽しいことを「したい」と思う。
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良くなってくるにつれて自分がうつ状態だったのかどうかだんだん疑わしくなってくるのだけど、この経過を見れば以前の状態がかなり悪かったことがわかる。
また、うつ状態になるのは精神的な面が多分にあるように思われがちだけど、私の場合、体力が先に亡くなったことで普段受け止められていたことが受け止められず、ダメージのスパイラルに陥ったことが原因だと思う。
となると、だれでも簡単にうつ状態になる可能性はあるし、少なくとも精神が弱いだけではならないと思う。
証拠に、私は仕事が大好きだったし(大好きな理由はゆがんだものだったけど)日頃からアクティブで人の相談も受けるタイプだった。

ちょっとやりすぎてつまづいただけ。
盛大に転ぶまで及ばなくてよかったけど、だからこそ普段から力を適度に抜いて体力を守り、気力や判断力を保つことが大事だと思う。
これに気づいてから、いわゆる「サボり」という感覚が、自分にも他人にもなくなった。

自分の体は自分で守らないといけないし、守れなかった時にどうにかなってしまうのであればサボったほうがマシだ。
ぼんやりすることも、好きなことだけ考えることも、仕事を嫌がることも、無意識な防衛反応は誰にでもある。
文句を言ったり、愚痴をいったりするのもそう。

だから、そうしていい。むしろ、そうすべき。
それで自分を守れるのであれば、それが正解だ。

そして強く思うのが「人の忠告は聞いてみる」ということ。
思い返せば私がダウンしてしまう前、いろんな人が声をかけてくれた。
他人が他人に声をかけて心配する時はよっぽどだと思って良いと思う。
なぜなら、他人は自分に興味などないはずだから。先に言った通り、自分を守りながら皆生きている。
この忠告を真に受けていれば、今こうなっていないかもしれない。

と、言うところを踏まえ、専門医の言うことはきちんと聞いて薬もきちんと服用するようにしている。
人の言うことを聞いていなかった結果、私に物言いすることができるのはもはや医者しかいないのだから。

 

【音楽】2種類目のおたまじゃくし

バンドでヴォーカルをやっているので自主的な練習をする。
例えば、音程をとること、呼吸を整えること、体をコントロールすること、パフォーマンスをすること。よくよく考えてみると歌うことに直結することが多かった。

この、よくよく考えてみるようになったきっかけは「リズム練習」。
最近、クリックを聞きながらドラムをたたいたり、家で毛布をたたいたりする練習を始めた。
別に難しいことはしないで、そのクリックの音に合わせて(クリックの音が聞こえないように)スティックで何かを打つだけで、右手から打ち始めて4分音符を4つ、8分音符を8つたたく。大体あってきたら左から打ち始めて同じことやる。
大体あってきたらクリックカウントの数を変えていく。

そもそも始めたばかり、早々うまくいきっこないので根気良く続けて行くしかない。
けれどもうっすらと気づいたことが…

クリックカウントが遅い場合:頭の4分音符はとらえ易いけど後の8分音符があわない。
クリックカウントが早い場合:頭の4分音符が会わないが後の8分音符があわない。

自分なりに考えた、今のところ、おそらく私の中に「リズムのおたまじゃくし」がどうもまだいないみたいだ。
「音階のおたまじゃくし」はヴォーカル練習をすることで増えたり、たくさん捕まえることができるようになった。だけど、「リズムのおたまじゃくし」が泳いでいないので「4部音符を8分音符2つ分/8分音符を4分音符の半分」で打つことができなかったんじゃなかろうか。(ただ、これはあまりにも理論的すぎるような気もする…)

歌っているときはどうしても短い音に置き換えがちで、しかも歌詞がある。さっきのここがこの長さだからここはこう、などということは考えたことがなかった気がする。

練習を進めることによって、この考え・感じ方がどうなっていくのかが少し楽しみだけど、逆にこの考えが正しかった場合、割と重い部分にメスを入れてしまった気がしてならない…。

とにかくヴォーカルだけに特化したことではなく、音楽全体としてのパーツの練習をし始めたことは良いことだと捉えておこうっと。