dalle’s blog

大体音楽と馬と個人的な記憶の記録にシフトしていくようにしています

あやこちゃんのワルツ

小学校高学年の頃あやこちゃんという友達がいた。

私は子供時代すごくイケてなくて、友達もいなくて、なんならいじめられてて、なんであやこちゃんと過ごす時間があったのかまったく覚えてない。
しかもあやこちゃんはすごく頭がいいし、すごく顔立ちが整っていて、すごく笑顔が素敵で、やっぱりどうしたって、今思い出してもなんで彼女が私に話しかけてくれたのか、全く見当がつかない。

あやこちゃんには勉強も良く教えてもらったし、彼女の家までの道筋を覚えている気がするから、おうちにもお邪魔したんだと思う。団地の中をずっと駆け巡っている片側1車線ずつを道なりに、坂を少し登って右に曲がったところ。少し木々が山肌からむき出しになっているあそこまでの風景をよく覚えている。

あやこちゃんは頭がいいどころかピアノが弾けた。クラスに必ずいる「合唱コンクールでピアノを弾く子」だった。
そんなあやこちゃんに「子犬のワルツ」を弾いてもらった記憶がある。
どうして弾いてもらったのか、どこで弾いてもらったのかはっきり覚えていないけど、子犬のワルツを弾いてもらったことだけ鮮明に覚えている。
あやこちゃんのことだから、他になんだって弾けただろうし、なにか弾いてくれたはずだと思う。ベタな感じに堪えかねて、あのはにかんだ笑顔とまなざしで「猫ふんじゃった」もきっと弾いてくれていたはずだと。

ほんとうは私がその曲を「子犬のワルツ」だと知ったのは随分大きくなってからで、もう大人になりかけてたかもしれない。
ただ、また出会えたはずのワルツはなんだかとっても早くって、さっと心の中を触れて行ったきり、曲名と曲があるという事実だけ私に告げてどこかへ踊りながら去ってしまった。
私の心の中にはあやこちゃんが弾いてくれたあの曲が「子犬のワルツ」で、それは正しいだけは上書きされたりしないんだと知った。

私はもともとピアノの音楽も3拍子も好きだから覚えていたんだろうなって感じながら、いろんな人の子犬のワルツを聞いてみて、でもやっぱりあやこちゃんの弾いてくれたのが一番好きだなって思う。
スピードもゆったりだし、きっとほかに上手な人もいるのだろうけど、私が頭の中で聞いてる「子犬のワルツ」はあやこちゃんが弾いてくれたものだけ。

私が好きなのはあやこちゃんのワルツ。

お祭りにおける馬の虐待と私が考えること

発端の映像ツイートからずっとみてましたが、朝のニュースに取り上げられ、記事になるまで1週間くらい。拡散の規模に対してかなり早いピックアップだと感じました。

https://m.huffingtonpost.jp/2018/09/24/uma-gyakutai-douga-viral_a_23539628/?ncid=fcbklnkjphpmg00000001

自分が馬好きなので悲しいのもありつつ、ちょっとだけ冷静に考えてみたのですが。

 

まず、競馬は良くてこれはダメなのか、という意見について、自分が勉強したり感じたりしたことがありながらも、確実に言えるのは、馬と人の間にきちんと信頼とコンタクトが生まれなければ馬は走らないです。言うことなど聞きません。競馬の残虐性を直接否定するだけの知識を持ち合わせていませんが、毎日馬の様子を見て、調教して、寄り添って、技術のあるジョッキーが乗るから走るのです。

 

次に、お祭りに必要なパフォーマンスだと言う点について、馬を見てもらう行事は沢山ありますし、競技もあります。馬は賢い動物で、覚えるのが遅くても、覚えたら忘れないと、私は学びました。(瞬発的な判断が必要な草食動物が、いちいち物事を覚えるのが早い必要はないと思います。毎度毎度考えるより、本能に従うべきなので。)手の動きや棒の合図、あるいは軽い鞭で合図を送るだけで充分、覚えたことを再現できます。

 

今回の人間のしたことについて本当に残念なのは、信頼関係を築いて、コンタクトをとり、お互いがスムーズに目標を成し遂げる努力をしなかったことです。それをしないから、性器をむりやり掴んだり、無駄な鞭打ちをする必要がでてくるのでしょう。

 

・馬が望んでないことをしている。
・これはこういうもので、こうするのが祭りの人気を支えている。

どちらの意見も否定する気はありませんが、まだ人間の方にできることが多くありました。それをサボって無理を聞かせたのだから、私は人間の怠慢だと思う。

 

馬ははっきり言って鞭など痛くないと思います。ただ、痛くても痛くなくても、自分に悪意が向けられてることはわかるのでは、と常々感じます。馬だから良くて人にはダメということはないです。逆も然りです。

 

同じ人間だったとしたら嫌でしょう?じゃないんです。
受取手側が石であろうと水であろうと、己としての善悪は揺るがないものなのではないでしょうか。もちろん、善悪観は時間によって変化はするでしょうが、対象によって変わるという事は、飲まれているということ、観念ではないように考えます。

 

この人たちが同じように鞭打たれればいいのに、という意見についても、上記の意味でちょっと自分とは考え方違うな、と感じます。

【後編】モンゴルに行ってきた!

[5日目]コンタクト

ここで最後の朝ごはんもいつものメニューだった。でも特別、焼き立てのケーキがあった。朝から豪勢だ。

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この日は最後の乗馬。しかも午前中だけ。午後にはここを出なければいけない。今までと同じように食べて、準備して、いつもの場所に集まった。


馬の近くまで行くと、モンゴルでの伝統的な馬の捕まえ方を実演してくれるとのことで、衣装を着た方がスタンバイしてくれていた。長い竿のようなものにロープがついているだけの簡単なもの。これを持って馬を追い、首に縄をかけて捕まえる。

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群れを追って片手で自分の馬を操りながら狙いを定める。周りからほかの人間も馬を追い込んでいく。捕まった馬以外の個体がサッと退き、首に縄をかけられた馬がおとなしくなる。素人目にやっとここで成功したことがわかった。両の手で自分だけを支えて操るのがやっとの自分からしたらスピードもさることながら圧巻の技術だった。

ショーの後、技術者はバイクにまたがって帰っていった。こういう、「そこは馬じゃないんかーい!」というのがちょいちょいあったけど、逆にわざとらしさがなくてよい。見たいのは演出ではなく、暮らしに根ざした技術だから。


いよいよ最後の乗馬に。先日の体調の懸念があったので今日は無理に全部を走らないで、距離を測ってから駆歩をすることにした。相棒の調子は良くも悪くもない感じ。でもやっぱり少し慣れてきていたのか、最初よりは落ち着いている。

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最初の駈歩。馬が歩くところからトコトコ速歩を始めたところで手綱で制限をじわじわかける。馬はそれ以上早くならない。昨日はここで爆走していたので、なんだかいい感じ。前の馬たちが見える位置で走るのをやめたので残りの距離を駈歩させる。手綱をゆずって「チョ」と前進の合図をかけてやるとすぐに駈歩に切り替わって距離を詰めてくれた。ひとまず自分が意図したことが成功した。嬉しい手応え。

少し歩いて2回目の駈歩。まだ走らせない。速歩。速歩。我慢させる事で置いていかれるので、先を行ってしまった馬に、私の馬が嘶く。走りたかったに違いなかったけど、まだ走らせない。

馬も耐えている。

距離が見えた。

手綱をゆずる。

もう合図を送らなくても馬はゆずった手綱を感じて走り出し、私の「チョ」の合図で確信を得て力強く駈歩した。

乗馬を長くやっている人からしたら笑われるかもしれないけど、私はこの馬と「手綱でコンタクトが取れた」と強く感じられて、涙がどんどんあふれてきた。馬とコミュニケーションを取りながら走ってみたいと、このモンゴルに来た時にみんなの前で話した。決して約束したから、それが達成できたから泣いたわけではなかった。馬が大好きなのにクラブで難しい馬に当たるたびに心が折れた。こんなに好きなのに、どうしたらいいのかわからなかった。人と人だって、こんなにコンタクトを取るのは難しいだろうと思う。それなのに、この馬は4日の内に学習し、理解をしようと努めてくれた。今群れに置いて行かれんとする不安を堪え、私の指示を聞いている。私はいったいぜんたい、どうしてあんなに世の中のあらゆることを諦めてしまっていたんだろう。こんなに私に向き合ってくれる存在があるというのに、自分の形を確かめることばかり毎日やって、自分をどこかに置いたり、ピースをはめてみることをしなかった。一瞬のうちにこの馬が教えてくれた。色んなものがほどけていって雫になって汗と混じった。

こんなことを寸の間考えていると、馬が少し轍からそれて草むらを走り始めた。草むらはネズミの掘った穴が多く、躓きやすくて危ないので轍に誘導してやる。通常であれば手綱を開いて行きたい方に引っ張ってやるところ、片手だけで操作して轍に寄せて行く。馬は無理のない速度で轍に戻った。

コンタクトが取れたことが幻でないことが、強く記憶に刻まれた音がした。私の脳にも、草原に伸びるこの轍のような痕ができたに違いなかった。

そのあとの駈歩も私の指示を聞いて良く走ってくれた。人馬一体とは、こういうことなんだという快感が内からじわじわと自分を熱くした。

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復路では今回の参加者が全員集まって坂を駆け上がり、写真に収めてもらうことになっていた。目的地につくと20頭以上の馬が近くにいることになり、私は少し不安になった。密集しているほうが危ないし、何か起きやすい。馬同士がちょっかいを出すこともあるし、何せ私の相棒は止まっているのが苦手。少し止まらせては右に旋回させ、左に旋回させ、また落ち着いたら止まらせ、むずむずしたら少しだけ歩かせて右に、左に、少ないスペースで動かしてやる。

私は正直、もう自分の馬に意識が移入してしまっていたので、ほかの馬がちょっかいを出して来たら私もムッとした。やめてくださいよ、という気持ちで、ただしそれは明らかに事故が起こることが怖いというより、「私たちの間に入ってこないで」という気持ちだった。ほかの参加者の方に笑顔だけを向けられなくて少し申し訳なかった気もした。多分なんだかんだ言って余裕もなかったけど。

坂道は程よいスピードで無事駆け上がり、そのあとそのままほかのチームのメンバーと戻ることになった。

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もうさほど距離もなかったので危ないとき以外は特に指示をしないで馬に任せた。羊の群れを無理やりどかせてスタート地点に近づくと、途端に皆小走りになり、嘶き始めた。往路、あれだけ私を感動させてくれたのにやっぱり早く帰りたいか、そうだよね、と、妙な安心感で最後の乗馬が終わった。最後、そうやって笑って馬を降りられて本当に幸せだった。


最後の食事、昼食のメインはツナのスパゲティ。そういえばここで出た最初で最後の魚だったかもしれない。そもそも肉中心の環境の中で、こうやって私たちにあわせた食事を出してくれたことを本当に感謝しながら、すべて美味しく頂いた。


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そのままお別れの時間。と、その前に同じゲルで5日間を過ごした3人でゲルの前で写真を撮った。本当にストレスなく過ごすことができたのはこの2名の存在が大きく、毎日を十分に楽しめた。

バスの前に集まると、現地のスタッフが、そして2人の青年スタッフが馬に乗って待っていてくれた。


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ここで皆で写真撮影をした。本当に皆、良い笑顔をしていて満ちたものが帰る前からすでにあふれ出しているみたいだった。

バスに乗り込んでさよならを言った。皆がモンゴル語手帳のようなものを真似してさよならを伝えていた。ここにいた5日間、ずっと日本語で過ごすことができたので、私は言葉を覚えなかった。感謝の気持ちを伝える言葉を持ち合わせていないなんて、と、とても後悔した。

そうしている間に車輪が動き、速度が徐々に上がっていく。ああ、はやかったな、でも充実していたな、よかったな、と思いながら、ふと見るとバスの両側を馬に乗った青年たちが追いかけてきてくれていた。まるで恋人を乗せた電車を追いかけるように、馬を走らせながらこちらを見てさよならを伝えてくれている。

走馬灯とは良く言ったものだと思う。数日のことが一挙に押し寄せてきて、止められなかった。涙がぽろぽろこぼれた。すっきりなどしない。後からあとからこぼれていった。

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長く走ってくれたあと、馬と青年たちが止まって本当のさよならになってしまった。もう唇が震えて声が出なかった。隣の人が「とんでもないツアーに来てしまったね」と言っていたけどほんとにそうだと思った。思い出しては涙し、落ち着いてはまた泣き、を繰り返した。ウランバートルにつくまでの間そうやって過ごしていた。

 

首都に入ると一気に交通量が増えた。建物も多くなり、人々もオシャレで外国人向けのレストランも多くある。ここは当初の都市計画を上回る居住者を抱えるのに苦労しており、発電所やマンションなどを作っていた。こういうインプットは現地の添乗員が凄く良いタイミングで話してくれる。吸収がはかどる。

バスの中、窓側の席が暑い。


目的地で降りて、予定の最初は市場を回ること。建物の中にある生鮮食品や雑貨が並ぶ場所へ立ち寄った。

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草原と違って都市はやはり暑い。都市の暑さがある。東京の暑さと田舎の違いもこんな感じかもしれない。生鮮食品は野菜から肉から売っており、雑貨はなんと日本の百円均一も入っていた。私はモンゴルの塩を買ってみた。料理でどう使えるか、楽しみに。

次は添乗員おすすめのウールのお店へ。モンゴルは寒い土地、ウールなどの商品は質がよくとても暖かいと聞いていたので、祖母へのお土産を買うのにちょうど良かった。

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ただ、このタイミングでまた少しめまいのような感覚があり、この後のデパートでの買い物、レストランでの食事はキャンセルして先にホテルに戻してもらうことにした。現地の女性添乗員がまた付き添ってくれる。前日の熱中症でも付き添ってくれた方で、私は彼女に本当に頭が上がらない。


ホテルは日本人を中心として外国人向けのようで、日本語が話せるスタッフがいたので1人で行動していても全く困らなかった。ただ、部屋が暑い。冷房もない。必要がない国だから当然だ。窓を開けて、体を冷ますのに先にシャワーを浴びた。少し横になってホテルのwi-fiを拾いながら休んだ。少し体調が戻ってきたので、ホテルのみやげもの店で買いそびれた分を買い足した、というタイミングでほかのメンバーもホテルに戻ってきた。

皆が心配して声をかけてくれた(ほんとすいません)。ホテルはツインで、相部屋はゲルで同じだったメンバーだったので非常に気が楽だった。翌日が早い時間の出発で寝る時間があまりなかったにもかかわらず、部屋で少しおしゃべりをして過ごした。


[6日目]日本についちゃったらしい

朝、たしか5時ごろ起きたのだかなんだか、かなり早い時間に起きて準備をした。荷物をまとめてホテルのロビーへ向かうと、みんなも同じように集まってきた。点呼を取って荷物を詰んでもらい、外に出た。暑い。日本のような、朝の涼しさのような感覚はあまりない。夜の熱がそのまま残っているみたいだった。

バスの中で空港までの数十分、めいめい、旅の感想と感謝を現地のスタッフに向けて話した。中には涙がまた出る人もいて、つられてしまいそうになった。私は本当にみんなのおかげで無事に旅が終えられた、ということを話した。

空が白んで来るさ中、空港についた。荷物を降ろし、現地スタッフから最後のコメントをもらった。落馬事故もなく、ライトなチームもふくめ、みんな駆歩ができて良かった、と話していた。馬の事故は最悪の場合死ぬこともある。大けがもありうる。落馬事故がなかったのは本当に良かったことだと私も思った。

荷物を空港で預ける。並んでいる間も旅の終焉を肌で感じてじわじわと悲しくなっていた。と、同時に血圧が下がっているのも感じていた。連日の疲れかもしれない。添乗員と会話をするタイミングがあったのでそのことも少し伝えながら、後は日本に帰るだけだからリラックス、と声をかけてもらった。


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いよいよ搭乗ゲートに向かう。現地のガイドともここでお別れ。みんなでそれぞれにさよならを言った。私は連日の体調不良についてくれた女性のガイドに特にお礼を言い、ありがたかったことを伝えゲートに向かった。


そのあとは30分ほど自由行動で空港内の土産物屋やカフェでの時間を過ごした。私は歴史的/美術的な展示物が少しあったのでそれを眺めながら体力の温存に努めていた。そういえば空港のwi-fiがあったな、と思って繋いだはずみでtwitterを開いた。怒涛の日本語が目に移って一気に血が廻った。なんとtwitterで体調が一気に良くなってしまった。皆は革製品やウォッカの小瓶などをお土産に買ってきていて見せてくれた。


そうこうしているうちに搭乗の時間になった。時間があると思っていたのに意外とあっという間で、気づくと、あっさりと飛行機の席に座っていた。ただ、飛行機の出発時刻が遅れた。私たちの頼んだブランケットも遅れた。まさか私たちが頼んだブランケットを取りに行って遅れてるんじゃないでしょうね、と隣の人と会話していた。


地上から離れてしまってからは、行きと同じように機内食が出たり映画を見たりした。あまり食べなかったけど、おいしそうだった。なんだか帰りの機内食はイマイチとの情報を得ていたので、拍子抜けした。

出発が遅れたけど到着には影響はなかった。日本の上空を飛んでいるとき、美浦のトレーニングセンター(茨城にある調教施設)が見えると同じ列の人が教えてくれて、はっきりと見ることができた。最後の最後まで馬尽くし、最高だなと思った。


その数十分後、私は成田についてしまった。わあ、成田、ここが成田空港か、という変な気持ちになった。降りてからも本当にここが日本かわからなかった。だからと言ってモンゴルだとも思わないのだけど、そもそも日本であるという確信を、私たちはどうやって得ているのだろう。

荷物をとる前にまたゲートがもちろんあったんだけども、驚くことに顔認証だった。人のチェックではなく、顔写真のページを開いたパスポートを画面におき、顔を機械で認証するとゲートがあく。顔認証がこんなところでこんなに大量に使われているなんて知らなかったので、ハイテクだなあと本当に感心した。


荷物を取ってからは、添乗員が少し今回の旅のことを話してくれた。やはり天気がずっと良く、印象的な旅だったようで、そんなツアーに参加して本当に良かったなと思えた。そのあとも私の体調を気遣って(Twitterで回復していたけど)声をかけてきてくれた人がいて本当に嬉しかった。みんなで連絡先などの交換をして、空港でそのまま別れた。


どうやって家まで帰るか迷ったけど、来た時と同じルートをなぞることにした。どこから帰ってきてもそうだけど、一人の帰り道はどうしてこんなに無機質で空っぽなんだろう。帰ってきた記憶が抜けていて、ほとんど覚えていない。帰るまでが何とやらだというのに、家に着くまでのことはインプットされなかった。


帰ってからはすぐにシャワーを浴びて荷ほどきをした。空港で交換した連絡先に写真を送るなどしながら、凄い洗濯物を満面の笑みで見ていた。私はお洗濯が大好き。帰ってきてからのひそかな楽しみだったので存分に3日ほどかけて味わった。


その後も1週間にわたりメッセージの交換や写真のやり取りが続いた。私は渋谷の真ん中でその知らせを受けて、立ち止まってはそれをみた。それを見ている瞬間、やっぱり胸が熱くなったし、感覚として、渋谷にいることのほうがウソだった。


素晴らしい旅だった。不思議な旅だった。モンゴルという国に確かに私は6日間いた。でもモンゴルのことは何も知らないまま。

多分、ただただそこにいるだけ、という極上の時間だったからだと、今になって無と満への思考が回り始めた。

 

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【ありがとうso much】

風の旅行社さま

http://www.kaze-travel.co.jp/mongol

【中編】モンゴルに行ってきた!

[3日目]モンゴルを下から見るか上から見るか

また朝起きて少し散歩をした。ただ、興奮が落ち着いてきたのか先日よりはすこし寝入っていた。モンゴルの人はこんな素晴らしい景色なら早起きしちゃうだろうなと最初は思っていたけど、慣れてしまうと眠いものは絶対的に眠いし、幻想に過ぎなかった。


朝はまたおかゆやあげ菓子が出て(私はここのあげ菓子が大好き)、前日とは違うなめらかなバターが出ていた。食卓のそこかしこから「現地の何らかの動物の乳のバターなのでは」という期待が高まったすぐ後、「ウランバートルで買ってきました!」という回答がもたらされ、瞬く間に伝達された。


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この日は朝、牛の群れなどが比較的近くまで来ていた。あまりにあちらのほうに警戒心がなく、心配と不安が若干入り混じった、興奮しづらい不思議な気持ちになった。


午前の乗馬の前、ゲルのメンバーと話した折、昨晩は少し消沈した気持ちはあったけど、いろいろ気づいたことがあったじゃないか、私たちはそれだけ知っていることがあるのだから自信をもって乗れるのだ、いつも通りやれば大丈夫だというささやかな決起がおこり、私は大いに励まされ、今日は「馬を信用する」ということを念頭に乗ってみることにした。なにせこの地では絶対的に馬の方が土地を知っている。先輩に対して少々敬意を欠いていたように思いもした。


この日からレベルを考慮して分けられたグループごとに乗馬に出発した。乗ってすぐ手綱の角度を変えてみた。やや高めに、拳を前に、馬の口角に沿うように手綱が張るようにしてみた。うん、なかなか良さそう。馬も快適に歩いているように見えた。少しして軽速歩で走るタイミングが来た。体が上下に揺られる感覚が、感覚というか視覚的に見ても絶対そうなんだけども、これが小刻みにくる。びっくりして一旦馬に座った。が、座ってもいられない。なんだこりゃ。鐙の上に立っていられないどころか、速歩のペースが速すぎて、いつものように立ったり座ったりできない。いつも通りやれば大丈夫だと言ったじゃないか。「モンゴルの人は馬が走るときは立ってます」と言っていた意味がようやく分かった。だって鐙をしっかり感じながら立っているしかない。それ以外に体をうまく支えていられなかった。


走っている途中にジープに乗った陽気な外国人(注:自分も外国人)がやってきた。インストラクターが言うには競馬のレースの関連車らしい。競馬は日本のような会場を走るものでなく、30km耐久のようなレースで、この近くでそれが行われているとのこと。大きなジープが去った後、ふと丘の斜面を見ると猛禽類がちょこんと座っていた。木がないので地べたに座っている。とたんにバカっぽく、座る場所が違うだけで威厳が壊滅的に失われており、途端にペンギンが鳥類だということに納得がいった。


なだらかな丘を登り切って休憩している向かい側に、沢山の馬と車がみえた。先の陽気なジープ集団で、馬を変える場所らしかった。

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その脇では馬の乳を搾っている遊牧民がいた。馬乳酒を作っているそうで、2時間に1回絞るらしい。絞るときは仔馬のほうを繋いでおき、親が離れないようにしておくとのこと。とにかく大変な重労働だ。

復路はすこし駆歩が出た。私は乗馬クラブでまだ駈歩のレッスンをし始めたばかりだったので「うおっ、これが駆歩か…!」と、認識するだけでひとまず精いっぱいだった。


昼食にはモンゴルうどんのほかにご飯と「やいたぶた肉」が出た。うどんはこの厨房で打ったものだそうでさっぱりしていておいしく、やいたぶた肉は本当にやいたぶた肉だった。俄然食える。


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この日は伝統料理「ホルホグ」にするための羊を解体するとアナウンスがあった。私はしばらく見させてもらうか、ゲルの中で横になって考えていた。あけ放ったドアの先には草原だけが見えており、絵画が飾られているようだった。

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やはりなんとなく、解体を見ることにした。モンゴルの羊の解体は血を1滴も床に落とさないのだという。私はほかの人が言うような「感謝をする」とか「見るべきだから」という感覚より技術のほうが気になって見に行った。

直接的な描写は避けるけども、それは本当に技術的で、何よりも羊に対する―決して哀れみなどではなく―謝意のこもったものだった。羊を捌くその最後の時、前か下しか見てなかった羊を仰向けにして空を見せてやる。羊はそれで喜ぶ、と。字面だけ見れば綺麗ごとに見えるかもしれないが、実際の解体を見ればそれが「本当の綺麗ごと」だということがわかる。何も無駄にしない。解体は1時間近くかけて行われた。


夕方からまた馬に乗った。すこし手綱の位置を変えることで要領を得てきたこともあり、初日よりもお互いにストレスが少ない状態で歩けた。ただ、まだ歩くべき道を歩かず脇にそれたりほかの馬にくっついたりする。なかなか厳しい。とはいえ、道々、あの見つけられなかったネズミなども目に入るほど余裕ができ、何かの動物の残骸もいくつか見た。オオカミがいるのは本当なのだろう。

この乗馬の時間で、結構な岩場の丘に登ることになった。馬は登るのがしんどそうで息を大きく吐いている。私も傾斜に堪えるのに集中して馬の負担を軽くすることに余裕が割けない。なぜそんな、進化した中指だけで立っている身で人を乗せて歩けるのか途中から不思議で仕方なかった。私が自分の10分の1、5キロ位の子を肩車してこの傾斜を登れるだろうか。しかしそこは「馬力」。馬は登り切ってくれた、よく頑張った、と思った瞬間、

そこには絶景が広がっていた

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見渡す限り緑。平地にみえる影は、空に浮かぶどの雲が作ったのかがはっきりわかる。平原を見おろす気分は「最高」という言葉ではあまりに画一的すぎて、その美しさに涙が出た。人生にはまだ感動できることがあるんだと、それにも感動し、あの、昨日全く御せなかった馬にのってここまで来た自分にも、馬にも感情が沸き立って、ああ、なんて日だ!と大きく息を吸い込んだ。その感情の傍らで馬は草を食み、大地はただ風を受け入れている。私だけが私に訴えかけていた。


夕食は先にも書いたホルホグがメインだった。現地のスタッフにも大変なごちそうだそうで、なぜかわからないけどケーキまで出た。


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おなかが緩くなりやすいのでほどほどに、と添乗員が助言してくれた。日本で食べる羊はそもそも薄い肉で、こんなにスペアリブな羊は食べたことがなかった。風味はワイルドだけど、匂いが強いということはあまりなかった。私は骨付き肉がでると必ず肉と骨の間の薄皮まで食べる。もちろんこの晩もそうした。


夜は流星群が凄いとのことだったので寒いのをおして外に出た。寝ころんでみたくなったので、みんなでレインウェアを羽織ってカイロをポケットに入れた。寝ころんでみると視界いっぱい、星になった。どの星にも目移りして、途中、本当に星を見ているのかわからなくなった。


[4日目]ゆずる、ゆずらない

朝から犬と遊んだ。この犬、ほかの人とも良く遊んでおり、よく突撃してくる。

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汚れるのが嫌な私はいつも遠巻きに見ていたものの、撫でられすぎて毛づやが良くなってきたせいか抵抗がなくなった。非常に賢い犬で、遠くに散歩に行った人をきちんと視野の中に入れて観察している。そういえば初日の乗馬の時もついてきていたし、素晴らしい番犬だと思った。遊牧民の犬はみなオオカミ対策にやや凶暴なので、見つけてもむやみに触りに行かないように教えられていたけど、この子はやはり人なれしているんだねとみんなで話していた。

その3時間後、この犬はよその遊牧民の犬で当ツアーとは関係ない旨が告げられ、これも瞬く間に伝達された。


朝ごはんはいつものラインナップに「ハイルマグ」というものが出た。乳に小麦、砂糖を混ぜ、干しブドウを加えて焼いてある。そのまま食べてもパンに塗っても甘くておいしい。


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ただ、私はこの朝食は少し食欲がなく、初めて食事を食べきれなかったばかりか、腹が緩くなった。まあ緩くなる程度、出ないより良いだろうと思った。この日は朝から風がなく、暑かった。


朝の乗馬は「手綱をゆずる」ことを重点としようと決めた。引っ張りすぎない、ただし、馬のわがままにもさせない。昨日の乗り方を鑑みるに、ちょうど良い目標だと思った。

そしてこれが功を奏し、自己最長の駈歩を走るときにとてつもない爽快感をもたらした。時速20km超。視界は道と前の馬だけ、常に先を見て走っている。自分の馬を信用できている。口が笑い、息が早くなる。それに加えて、馬に発信の合図を声で「チョ」と送ると、私のほうに耳を傾ける。指示をきいている、と、かなり強い手ごたえを感じて非常に嬉しかった。ただ、私の馬は置いていかれそうになるとぐんぐん走る。やはり単独は不安なのだな、と馬の気持ちをすこし垣間見た。


この日は違う岩場の丘にのぼった。昨日よりも傾斜が強いように感じたけど、登り切った後の眺めへのワクワクと、この馬は絶対に登ってくれるから、という安心感があった。無事に登り切り、この日も景色を楽しんだ。

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ふと横の丘の傾斜を見ると私たちとは関係のない馬が親子でたたずんでいた。ガイドに聞くと、高い場所は涼しいのでこうやって登ってくるそう。へえとおもって往路のための準備で順番に騎乗し始めた。

その時、私の馬が私を乗せた状態で暴れた。ほかの馬と喧嘩になり、座る状態になった。両方ともなかなか離れず、ゆずらない。ここは傾斜で小さい岩がゴロゴロとしている。落ちたら平地よりダメージは大きい。何より、対抗馬が自分の左側にいる(右側にいたら、そのまま左側から降りられた)ので絶対に降りられない。慣れない右側から降りようものなら鐙が抜けず、暴れた馬に引きづられて大惨事になる。一瞬のうちに考えて、馬が立ち上がってくれることを信じて鐙を踏み、落ちないことに注力した。馬が立ち上がった瞬間、左側にいた対抗馬と自分の馬の馬体の間に左足を思い切りはさまれ、すぐに外側の腱が痛んだ。帰りにきちんと鐙を踏んで乗っていられるか不安だったので、痛くて無理だったらインストラクターに伝えることにした。言っておくけどもこれはどれだけ注意をしていても起こるときは起こる。誰の不注意でもない。


残念ながらここで不穏が終わらなかった。なんとインストラクターの馬具が緩み、落馬してしまったらしい。後ろを振り向くまで気づかなかった。馬が驚かないよう、大きな声を出さないようにしてくれたのかもしれない。衝撃が大きかったようで、歩いて引馬で帰ることになり、もう1人のインストラクターが全員を先導した。私の馬も首振りが酷くなり、雲がなく、熱い日差しから逃れられない時間が長く続いた。

ようやく出発地点が見えてきたとき、私の馬は嘶き、俄然速歩になってきた。彼が集中してくれているほうが楽なのでほっとしたのもつかの間、引馬されているはずの馬が自分だけでやってきた。引馬しているはずの人間がいない。暴れて馬だけ走ってきたのかもしれないが、この馬が私たちの中に突進してきて一色即発の事態になった。馬に乗っているインストラクターが慎重に近づき、捕まえ、ほかのスタッフも馬に乗ってやってきた。緊張度の非常に高い乗馬の時間になった。


昼食はバンタンスープとカレーが出た。カレーは昨日の羊をダシに取ったもので、羊の肉も沢山入っていた。カレーはなぜか食える。


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食べ終わるとみんなでモンゴルの民族衣装を着せてもらい、写真撮影会を行った。私は左足が痛むので添乗員から冷やすものをもらったりしながらも楽しく参加した。女性の民族衣装には一筆書きのデザインが入っていて「ウルジーヘー」というらしく、幸福がずっと続くように、という∞のような意味があるそう。

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また、男性も含めて帯をかなりきつく締める。これは馬上で内臓が揺れないように強く締めるんだとかで非常に勉強になった。そのあと、現地のインストラクターの駆歩デモンストレーションが行われてさっそうとした姿にみんな何度も声を上げた。3テイクもやってくれた。

腹が下っている。


夕方は「遊牧民のお宅訪問」の予定だった。左足も何とかなりそうだし、せっかくのお宅訪問、おみやげも持ってきているのでなのでいくっきゃない!と強気で挑んだ。それにまた、午前中味わった駈歩の快感を味わいたかった。来た当初の「走られたらどうしよう」という気持ちは消え去っていて、むしろどこまででも走りたい気持ちになっていた。

インストラクターも良く走らせてくれた。私もそれについて良く走った。途中喉がすごく渇いたけども、興奮して口を開けて乗ってしまっているんだろうなと思い、どうせ降りられないのでやり過ごした。7キロほど走って遊牧民の方のお宅についた。


3つか4つのゲルの内、1つのゲルに通された。端に長机と椅子が準備してあり、向かい側の端にはなぜかベットがあり、中央にはお父さんが競馬でもらった賞などの装飾品が並べてあった。お決まりの馬乳酒と、お菓子を回してもらい、少し落ち着いたころ、めまいがした。なんか、まずいかも。これ、このままだとバタンと行くかも。でも人の家だしどうしよう、せっかく来たのに、つうか来た日本人が倒れるとかなくない?と葛藤しながら我慢してみたが一向に良くならない。水も体に入っていかない。

だめだ、と思ってたまたま同行していた添乗員に「熱中症っぽいです」と直訴した。するとたまたまグループにいた2人の医療従事者が「顔色が悪い」といいだし、たまたま向かい側にあったベッドに寝かせてもらうことになった。本当に申し訳なかった。凄い調子に乗ったな、という後悔と、旅前の体調を崩したらどうしよう、と思っていた気持ちが一気に押し寄せてきた。その反対側から、この重なりまくった「たまたま」に対して凄いラッキーも感じていた。変な風だけど「倒れるならここ」と、段取られた気がした。皆が一生懸命あおいでくれて、水を飲ませ、塩のタブレットを舐めさせてくれた。おかげで良くなり、帰るかどうかの判断をするとき、車で帰ることもできると言ってもらえた。あと2kmだし、馬を走らせなければ帰れるかな、と悩んだけども、馬上で気を失ったら周りを巻き込む大惨事になる。申し訳ないまま、遊牧民の方のお車に乗せていただき、ゲルに戻った。

きっと昔の私だったら意地でも我慢してしまったと思う。ここで起こったことは申し訳なかったけど、直訴できたことはとても良かったと思っている。


少し横になったら割とすぐに元気になった。夜は馬頭琴の演奏会が開かれる予定だったし、外で食事を摂ると聞いていたので、参加できそうで安心した。

シャワーを終えると食卓が早めに囲まれていたので急いで席についた。ここでの最後の晩餐はおそらく「ホーショル」という揚げ餃子。この日はビールを飲んだりしている人も多く、イベントへの期待が高まる。

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そしていよいよ馬頭琴の演奏会がスタート。ご近所からも演奏を聞きに来られてオーディエンスが多い中、馬頭琴ブラザーズが登場。


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構成は馬頭琴×2、太鼓1。うち2人は昼間は一緒に馬に乗ってくれていた人達だ。この日は月が見えていて、なんだか良い緊張感があった。曲のタイトルや意味を現地の添乗員が通訳してくれる。演目は"飛べる馬の歌"から始まった。

馬の脚の緩急が感じられるリズムになっているらしく、1曲目はやや軽快。リズムが出しづらい音楽なのでは、と先入観があったものの全くそんなことはなく、馬頭琴そのもので刻む時は右手の弓で軽く弦をたたくように演奏するなど、十分にリズムを感じた。左手は弦を直接抑えているのだと思ったら爪で横から押していた。個人的には楽器の大きさに対して出音が太く大きくはっきりしていると感じた。

2曲目以降は歌も入ってややダークな曲も演奏され、横笛も登場。日本の曲を含め計8曲のセットリストを完走した。直後、もちろん熱烈なアンコールとともに手拍子が入り、ブラザーズの再演をみんなが熱望。この声に応えて2曲が演奏された。1曲で終わらないタイプのグループであったことがちょっとプロっぽい。

その後集まってくださった方たちの中から歌が上手な方がアカペラを披露してくれた。それに併せて周りの現地の方も歌う空間はいい意味で完全アウェイで、知らない歌の団結力に包まれる不思議な感覚に陥ることができた。この後は私たちの世話役であった現地の女性が「○○サン、ウタイマスヨ~!!!フウ~!!」とあおりまくり、3曲の歌が披露された。

是を宴と呼ばずして何と呼ぶ。酒を飲まない私が「いや~、飲んだ、食った」という気分になった。満たされた。馬に乗ってばかりいて忘れそうになるけど、なんだかんだ音楽は体の芯から好きだ。


この日の夜も、この場所での最後の星をみた。皆で同時ににあと1つ流れ星を見たら寝よう、あと1つ、あと1つというのを繰り返し、よそ見をして見逃した仲間とゲラゲラ笑った。

もう明日からこれはないんだと思うと寂しかった。また見逃した。余計にゲラゲラ笑った。

【前編】モンゴルに行ってきた!

8/10~15にかけて、乗馬をしにモンゴルに行ってきた。

3か月前の自分はモンゴルに行くことなんか全然考えていなくって、でも、凄く行って良かったな、という満ち足りた気持ち。


恐らく2か月前の6月半ばごろ。友人と食事をしながら話をしている中で「こう、なにもない、わーっと広いところに旅行に行ったみたら?」という話題になって。私が「馬が沢山見られるから北海道に行こうかな」というと友人が「せっかくだから1週間ぐらい休んで…なんならモンゴルとかでもいってみれば!?」と大胆な発言。いつもの私なら絶対に「そんなに休めないし冒険したくない!」と断っていたはずなのに、この時はなぜか「モンゴルってちょっと魅力的だな、自分に何か新しいことが起こりそうな気もするな」と少し乗り気になっていた。

そこから1週間もたたない間に良い旅行会社さんを見つけてどんどん実行に進んで行く。ひょんな巻き込まれから始まった旅行がこんなにも素晴らしいなんて全く想像していなかった。これはその旅の様子の記録。

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[旅行する前]

友人の、いい意味で無責任なつむじ風発言にうまく乗る形でさっそく旅行会社へ問い合わせ。8月のプランまで結構ぎりぎりで、今ならまだ申し込みできます!とのこと。これは行けって言われてるな…と感じながら、海外旅行があまり経験のないことなので不安な旨などを添乗員と会話し、うーん、大丈夫って言ってるから大丈夫かも、なんか、行ったほうがいい気がするな、最悪怖ければキャンセルすればいいしな、と申し込み。

実は一度自律神経が壊れてから、不安になるような場所や自宅に長期で帰れないようなところに行くのが怖く、また、人と食事を摂ることが元来非常に苦手なので海外旅行云々に関わらず1週間近くもそんな状況にいてほんとに大丈夫かなあという心配もあった。でもそれとは別に「乗馬」という観点で少しスランプに陥っていた事実があり「モンゴルで乗りこなせたらスランプ抜けられるかも」という期待もあった。

不安要素がめちゃくちゃ大きかったのに、なんとなく「ケセラセラ」。申し込みが完了してしまった。


ここから職場や家族や友人に「該当期間いませんよ~」という連絡をした。どこに行くのか聞かれるので、ここはさらっとした表情をつくりながら「あ、モンゴルに行ってきます」と伝えた。

周りのほうが色めき立った。

私の馬好きを知っている人は「いよいよ、そんなステージまで!」という顔をしたし、旅行が好きな人は「ニッチな所に!楽しみだね!」と。モンゴルを知るし人はこの地の美しさを教えてくれ、うらやましがってくれた。話した誰もが私と同じくらいのワクワクを抱いて出発の日を心待ちにしてくれた。職場の人は毎朝「もうすぐだね」とカウントダウンまでしてくれた。

皆のおかげで私の興奮が高ぶりすぎなかったのは本当に良かった。日本にいる間は直前まで普通の生活に集中できた。浮き足立ちすぎると、興奮して消耗してしまう。


[1日目]いざ、モンゴルへ

当日残したタスクはドルへの換金だけだったので少し早めに成田空港へ。毎度羽田へ品川から仕事終わりに行っていた経験からすれば成田空港は遠い。面倒臭い。荷物も多いのでどうにか乗り換えの楽なルートで成田へin。

換金後、スタバでだらだらと過ごし、色んなものの最終チェックをした。

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その後集合場所へ行くと添乗員が待っていてくれて、声をかけてくれた。安心。搭乗手続きが混んでいるらしいので先に手続きをして中で落ち合うことになった。

途中諸々の掲示物を見ると、友達から借りたアクションカメラを税関でチェックしておいてもらったほうがいいように思い、提示すると、係員の見たことのないものだったようで非常に興味を持たれ、質問された。私も借りものなので答えられない。別に何も咎められたわけではないけど少しドキドキした。


中で本やちょっとした薬を買い足して、再度集合した。15人位人がいた。行く前からみなさんよく話しかけてくださった。安心。

その後、飛行機に乗り込んで、窓側に座った。見た瞬間心が躍った。機体の羽に馬が描かれている…出だしは好調だッ…!

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機内では飲み物がでて、機内食がでて、コーヒーが出て、軽食が出て、凄くフォアグラな気分だった。映画を期待していなかったんだけど、2本流れたうちの1本がアベンジャーズで少し嬉しかった。英語しかなかったのでビジョンが爆誕するのをぼやっとみていた。

そのうちモンゴルが見えてきた。日本と違って山や森がないので色がのぺっとしている。ずっと同じ色。濃淡がない。高度が下がるとゲルも見えてきた。動物も見えた気がした。もう少しで着く、というところで虹が出ていた。勝手に歓迎されている気がして、とても嬉しかった。

到着したモンゴルの国際空港は「チンギスハン」の名前がついていて、リスペクトが凄いなと思った。日本だと誰の名前を付けるだろう。

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空港では現地の添乗員が迎えてくれた。昼過ぎに出たので着いたのは夕方すぎ。5時間ほどのフライト。

そのままバスに乗り込むのに外に出た瞬間、「涼しい!」と感じた。聞いてはいたが涼しい。私は寒いほうには強い。ちょっと心強かった。


バスに乗り込むと現地の添乗員がいろいろ説明をしてくれるものの、10分もたたないうちに牛や馬の群れが道路わきに次々と出現。視覚と聴覚がフルで稼働して凄まじいインプットが始まった。「馬は群れる動物」と散々教えられるも、本当に群れたのをみたのは初めてだった。

窓は紫外線が強いため黒い加工が施されていて、砂ぼこりを避けるため閉めているがまだ外は明るい。日没は21時だか22時だか、とても遅いらしい。そのことも相まって道中、夕日が落ちるのを見ようということになって途中停止した。

バスから降りた瞬間、驚いたのは「匂い」。恐ろしくハーブの匂いしかしない。特定できたのはカモミールくらいだけど、いくつもの種類が混ざっているらしく、臭覚について事前に何か情報を得ていたわけではなかったし、正直獣臭いのでは、という先入観があったので非常に驚いた。

空には火星や星がくっきりとみえ、月はなかった。そしてさらに肌寒かった。めいめい少し写真をとってバスに戻り、そのあとはアトラクションのようなでこぼこ道を走った。寝られるように車内灯が落とされたけど、私はアトラクションを楽しんだ。


2時間くらいバスが走った後、私たちが泊まるゲルのある場所についた。場所は「アルタンボラグ」とパンフレットにある。

降りると現地のスタッフが正装で、馬頭琴の演奏をして出迎えてくれた。多分ついたのは現地の時間で10時だとかだと思う。そんな遅くに、寒いのに、わざわざ!という気もした。

手渡された杯に入った乳を皆で回して口をつけ、食堂ゲルに移動した。

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夜は軽く水餃子が出た。黒板に毎食メニューを書いてくれるのがとても嬉しい。おもてなしの気持ちも伝わるし、旅が終わった後に見返して何が出たか知ることができる。

味付けはあっさりしていて、暖かくてするすると食べられた。


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皆で自分たちが来た理由などを自己紹介を兼ねて話した。驚くことに3割くらいは星をみたり写真を取りたいとの理由で来られていた。私は余所行きの馬シャツを自慢して馬好きをアピールし、前段の友人のくだりをやかましく話し、自己紹介を終えた。

このあと、ゲルの割り当て(ゲル割)が話され、各々自分のゲルに戻っていった。私は3人のゲルで、みんな乗馬経験者。このあと5日間を一緒にする方と荷ほどきをし、その夜はみんなでずっと星を見た。0時を回ってもまだまだ眠たくなかったし、何せ眠るのを拒みたくなるほどの凄まじい星。

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3分に1度は流れ星が流れるし、北斗七星が偽物かと思うくらい明るく、近くに輝いている。空は滅茶苦茶に晴れて、視界のはじからはじまでが星。

本当かもしれない、嘘かもしれない風景に風の冷たさが非常に心地よかった。

 

[2日目]馬に乗った…かな?

≪午前中≫

朝起きてゲルの外に出てみるとすでに日は昇っていて青空の下に草原が広がっていた。草には朝露がつき、緑をより濃く見せているような気もした。今年は過去10年以上添乗員が見た中でも最も美しいというほどの草原。香りも良く、履物の裾が濡れるのも構わずに歩き回った。

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どこからともなくチチチという鳴き声が聞こえてきた。探してみても姿は見当たらなかったけど、これはネズミの鳴き声で、草原の中はネズミの穴でいっぱいだった。ただこのネズミ、日本の顔や尻尾が長いものと違ってモルモットやハムスターに近く、小さかった。なんだか話によると、このネズミを狩る猛禽類を中東のお金持ちが買うことでネズミが増えているのだとか。本当だろうか。

朝ごはんはおかゆと目玉焼きやハム、トーストにあげ菓子のようなものが出て食べやすく、完食した。すでに2食連続みんなと完食している。嬉しい。

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そのあとは乗馬の準備をして集合場所へ。何頭かの馬がいるのだと思ったら目の前まで数十頭の群れが連れてこられた!

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しかも無口をよこでつなぐ形でなく、洗濯ロープなもののようなところにみんな繋がれている。

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残された精鋭以外は放牧に戻され、選ばれた20頭近くは嘆きの嘶きを…めっちゃ嘶くやん…結構嘶くな…と思う程度に泣きわめいて己の運の強さを嘆いていた。

私たちは初歩的な講習(馬には左から近づくのである、尻や体をむやみに触るな、鐙を履きなおすな、など)を受けて各々馬に乗ることになった。

まず経験のない方から馬に乗って慣れて行く。引馬を少ししたのち、なまじ経験と知恵を付けて後ずさりしている経験者たちが乗り始めた。私が乗った馬は前髪の一部だけが少し長い、イオンにスウェットでくる家族の子供みたいな馬だった。

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少し乗ってすぐ「全然だめだ、御せない」と思った。首振りも多い。そのうち全員が乗って、少し近場まで歩くことになった。

モンゴルの乗馬は片手で手綱を持つスタイルで私には初めて。両手でも毎回うまくいってないのに片手で走られたらどうしよう…とさらに不安になった。もう片方の手は鞍の前にある突起をつかんではいるものの、暴れたら完全にロデオだなと思った。

案の定、全然御せないどころか、馬がちょっと走り始めた。「手綱を引いて」という声が聞こえたが、とっくに引いている。月会費払って馬に乗っているのだ、手綱を引くぐらいできる、舐めんな、止まんねえなといろいろ思っていたところ、インストラクターのサポートがあってみんなのところに戻れた。私の馬は絶対群れに戻ろうとしていたと思う。私も馬も生意気だ。

その後もうまく方向転換ができない、というかもとに戻りたがる行動を繰り返し、非常に疲れた。恐らく2時間くらい。


戻ってきて昼食が出た。きのこスープとグラシャなどがでた。スープはベシャメルっぽくてクラムチャウダーのような味で大好きな感じ。グラシャはビーフシチューというかストロガノフというか、とにかく美味しかった。日本にいるよりいいものを食べている。


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昼の記憶がないけど、昼寝したかもしれない。弓で遊んだかも。午後は夕方になるまで直射日光で陰にいないと結構暑い。

≪午後≫

午後も馬に乗る。16時から。馬は繋がれたままで一時的に群れに戻したりはしない。

正直、午前と同じ調子だと、心がしんどいというか、面倒だなーという気持ちだった。往路はインストラクターが沿い馬してくれたので落ち着いていたものの、やはり首振りがひどい。ただ帰りは少しマシになった。涼しくなったからだとみんなが言っていた。復路の時、現地のインストラクターと話していたら彼は20代後半だったから「私のほうがお姉さんだね」と伝え、年齢を告げると「24、5歳にみえますヨ」と言われた。はあ~???上手かよ??と思いながら(ちょっと嬉しい)、とにかく人と話しながら馬に乗っている余裕ができていたことは良かった。

次の日も基本同じ馬だと聞いたので、半分嫌だなと思いながら、当初の目的である「コミュニケーションを取りながら乗る」をこの馬でできれば日本に戻ってもそこそこいいんじゃないかという気持ちもあった。


戻ってきて夕食の前にシャワーを浴びた。暖かいシャワーを浴びられるなんて大変ありがたい。そのあと夕食を食べに食堂ゲルに移動する途中、美しい夕日を見た。ただ、日本のように空は染まっておらず、青く、雲も白く、そこに夕日が差し込んでいた。

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この日のメインは「ボーズ」という小籠包のようなもの。もちろん美味しかった。


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ゲルに戻って馬のことを話した。ゲルの仲間は乗馬経験があるので、最初の内は吐露というか、滅茶苦茶楽しいね~!!というより、いや~…というような話が中心だった気がする。私もそこそこ意気消沈していて、日本で学んだことが活かせてないな、このまま4日乗るのはしんどいな、ということを話した。ただ、ハミが嫌なのかな、とか虫が嫌なのかな、とかいろいろな思ったことの情報交換ができたのは本当に良かった。個人的にはこれでは馬に乗ったとは言えないな~と思っていた。

多分この日だったと思うけど、暖炉の薪に火をつけた。朝方、点けに来てくれた人が仲間につけ方を話しているのを薄らまなこで見ていた。ここから当ゲルは寒いときに自分たちで火をつけることに成功した。私は薪が燃えたり暖炉が赤々としているのが好きなので、この役目を買って出て、感謝されて嬉しかった。


夜は飽きもせず星を見た。昔から幾重にも表現されてきた星の美しさは、場所によっては違うのかもしれないと感じた。トイレに行ったけど道中が暗すぎてヘッドライトを点けて行く。そのくらい、暗い。だから、星が見える。光は凄いなと思った。

 

【考察】贅肉の見え方と砂金採りの仕方

この記事の発端は、1人の他人が私にいらんことを言ったからで、かといっていまさら考え付いたことでもないので自分の考えをまとめてみようと思った。
先に行っておくけども、別に個人を責める記事でもないし、当該人を嫌いになったわけではない。

とある日、私は自分の業種から行くとそこそこ「頑張ってここまできましたね」というようなフォーラムに参加していた。ド田舎から東京に1人でやってきて、まったく予想もしなかった業種に飛び込めたのはいろんな人が根気よく手や力を課してくださったからで、私としては自分の努力よりも、そういった人たちに感謝の念に堪えず、その喜びを伝える意味で出来事をメッセージした。最初のうち、相手はそれなりのリアクションを返してきていたのだけど、途中で以下のようなメッセージが送られてきた。
「話変わるけどさ、(有名人の)○○ってさ、太ったよね」
と。一番良くないタイミングで一番良くない話題が降ってきた。どうよくないかというと

①私が嫌いな「他人の体形の話をし始めた」:55%
②話のイニシアチブを取るために他人の話題を出してきた:40%
③私の報告事項を遮った:5%

位の内訳。
こういう話をすると良く他人から「考えすぎである」とご指摘を頂くけれども、この際言っておくと「どっちが考えすぎなのか、考え『なさすぎ』なのか、そもそも考えたことあるか?」と思って生きている。考えすぎ、と結論付けるための引き算できる母数がどの程度か、考えてあるのだろうか、と。ので、断っておくけども私に「考えすぎ」と、まさに③のようなことをしていただく必要はない。

さて、①について解説していくと、「他人の体型の話をする」ということは、倫理的なタブーの見方が一般的に強いと思う。その感覚はものすごく良くわかる。けど。けども、大体話題として面白くない。他人の太った痩せた、薄くなった修正した隠した、この話題の面白さがわからない。面白くない話題を振って来た時点で重罪であるのに、倫理観も欠けているなんて、いらないどころか嫌悪感が凄まじい。
そのやり玉に上がった有名人について、どうして太ってしまったのか、太ってしまったことによる損失や新たな可能性があるか、などについて話すことは私もできる。残酷ながら「コンテンツ」として人が変わったことについて真面目に討論することは好きだから。ただ、人が人として太ったと言われてもニヤリともできないし、意味も分からないし、何の同意を求められているのかがわからない。
会話の続きとして「副作用かなにかかもしれないよ」「むくんでしまっているのかもしれないよ」という可能性を私から提示したが、そんなこと話している自分、何なんだよ、という気分になった。

加えて、私は過去にこのようなことを言われたことがある。
「貴女はステージに立つならもう少し痩せないとね」
この言葉は胸に今でも突き刺さったままで、人の前に立つことを今でも億劫にする。
私は小さいときに家が豊かでなかったため、空腹になったことはなかったものの、他の家庭のような「食の自由」はなかった。高校生にあがると、今度はCDを買うために小遣いを切り詰め「コンビニエンスストア」という楽園に足を踏み入れないように努めた。東京に出てきてからは働き、時間に追われ、時には幾つもの仕事を掛け持ちして学費を返した。親の援助は受けなかった。そこからすこしずつ貯蓄に余裕が出てきて「やっと好きな時に好きなものが食べられる」という自由を手にした。それからごく僅かな時間がたったとき、私は先の言葉で「好きなものを好きな時に食べる」という感覚をなくした。三大欲求のうちの1つは早々と正常に機能する機会を失った。
胃はいくつもの種類の料理を受け付けなくなり、腸は正常値を忘れて下し、脳はカロリーにおびえ、「太るぞ太るぞ」と食べることに罪悪感がある。そういう人間に、たとえ本人のことでなかったとしてもそう言うことを話すのは酷だと思う。私の被害妄想は膨らんで、そのうち外も歩けなくなるだろう。

誰かの幸せを奪うかもしれないし、誰かの不幸を増幅させるかもしれないのに面白くもない話をするということはあまり建設的ではないようにおもう。こういうのが「ナンセンス」だと言うんだろう。

②について。
「自分のことを話したい」タイプの人の中で、会話のイニシアチブを直接的に取るのが好きだという人がいる。これ自体は特に否定しないし、私も主導したいジャンルや場面はある。ただ、それを「他人のこと」で切り替えてきたのが頂けない。自分の話をすればよい。幼子のように「聞いて聞いて」と自分の身に起こったこと、考えたことを話して会話を自分に引き寄せればよいのに、まさかアンタ他人様の褌を勝手に借りたばかりか汚れていると鼻で笑うなんざ、浅ましくて反吐が出る。
この手の話以外でも、私は「自分事」のできごとを話してくれる人のことが好きだ。「あの有名人が好きだ」という話は自分事である。が「あの有名人は太っている」だけでは自分事ではない。ホテルの立食パーティーで大皿をテーブルに置いたにすぎず、自分は味わうことができないどころか、消費されるかどうかもわからない。人気があったかどうか「すべて終わった後」にわかるような話題の置き方だ。

③について大したパーセンテージが割り振られていないのは「私の話など所詮聞きたい人間などおらず、この程度である」という諦めが私の心に蔓延しているからで、この諦めがなかったらもう少し高い割合を示していたかもしれない。
これについては、怒りよりも「自分に話してくれた人がいてくれたら、その時はもっと聞きたい」と思えただけだった。

こうやって分解していくと、100%の不快感だと思ったところから少し学びがあった。
考え「すぎる」るのだって悪かない。
ただ、砂金採りのような、見る人からしたらやっぱり不毛なことなんだろうけど。

生かされている馬と私

最近乗るようになった馬がとても攻撃的だ。

これはおそらく臆病とか敏感とかいうところから来てるんだろうけど、今までで彼が一番怖い。威嚇はする、体当たりはする、噛みつく。すぐに耳がきゅーっとなってぴりぴりモードになる。嫌だなあという気持ち、でもやらなくちゃという気持ち、心配な気持ちが混ざるから余計馬に不安を与える。良くないと思いながら、でも、心配な気持ちはどうやったら拭えるんだろう。

心配な理由は、やっぱり馬は人間に愛されないと生きる道がどんどん狭くなるから。ここのクラブでずっとこうだったら?みんなが乗りたくないっていったら?彼はどこに行ってしまうんだろう、と思うと「少しずつ、頑張ろう、一緒に慣れよう」という気持ちになる(そして威嚇されてもとに戻る…)。「生かしてる」というつもりは毛頭ないけど、社会性がとても強い動物だから、野生であっても自分だけでは生きられない。今は人間の社会性の中で生きている。だから淘汰するかどうかを人間が決めてしまう。

私だってそうで、人間の社会の中で生きている。皆が生きる上で社会に与えた余力に頼って生かされているに過ぎない。皆の余力が少なくなったら。ちょっとずつ支えて行く社会が薄くなっていったら。人間だってキレイごとだけは言ってられないと思う。余力の中で生かす優先順位はどうしたってつけざるを得ないはず。ノアの箱舟に誰がのるか、選ぶ時がくるということ。
そうなってもおかしくないのに。誰かのものを盗らなくて済んでいるのは、誰かがそれを悪と教え、必要ないように生きる力を辛抱によって与えたから。誰かを殺さずに済んでいるのは、また誰かがその意味を説き、理解を教えたから。そしてご飯が食べられて、雨風をしのいで寝起きができて、好きなことまでできるのは、みんなの余力の中で生きられているから。
ありがたいとか、私もそういう人間に、とかそういうことではなく、単純に、生かされている。生かされている上に、社会に人間にしてもらっている。ある程度身を任せていれば、まずもって死ぬこともないんだろう。

生きられている間に、わあ、生きといて良かったなあ!と思うようなことがいっぱい起こるといいと思うし、沢山の生きている人にも起こるといいと思う。

ちょっとずつの余力で皆がちょっとずつ生きて、良いことが起こるなんて、この世は凄いところだ。


あの馬にも良いことが起こりますように。