【うつ状態】地獄の旅4泊5日~お薬脱出チャレンジ~

うつ状態になった後に飲み始めた薬がかなり少量になっていることと、仕事を辞めたことがあったので、主治医と相談して薬の服用をやめてみることにした。
自分でも何日か飲み忘れたり(思い出してすぐ飲むけど)しても問題なかったし、薬がなくなることで一区切りつくような気がしてとても嬉しかった。
やっと終わるのか~と思ったのに、なかなかうまくいかなかった記録。

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【お薬なし1日目】
朝から少しめまいがあったけれど、台風が近づいていたのでその影響かと思ってスルー。
昼間に用事があったのでそのまま出かけるも、夕方からめまいがひどくなって横になるも耳鳴りがすごくて眠ることもできない。
しかも最近でていなかった「むずむず脚」の症状が出て、眠れないことを覚悟して夜を過ごす。

【お薬なし2日目】
めまいがひどくてまっすぐ歩けない。耳鳴りと動悸が激しくなる。
1日の内で何もできない状態。眠ることができなさそうだったので頓服でもらった睡眠薬を飲んで寝てみるも全く効果なし。
むずむず脚の症状がひどくなって脚が勝手に動いたり痙攣したりし始める
台風もこの日がピーク。

【お薬なし3日目】
めまいが軽くなっていた気がするので、治ってきているのではないかと思うも耳鳴りと動機は相変わらず。
面接が1本入っていたので向かってこなすもかえって来てからの容体は2日目と変わらず。

【お薬なし4日目】
午前中にジムに行ったりして過ごすも、めまいは収まらず、台風がなくなっているので絶対おかしいと思い(遅い)
病院へ。
症状を話して薬をやめたことが原因か台風が来たことによる気圧変動が原因か診断をしてもらう。
即、薬をやめたことが原因と判断され、再度服用開始。

【お薬なし5日目】
3日程度ほとんど眠れなかったので、滾々と眠る。めまいも耳鳴りもなし!
むずむず脚が少し残るけど、気にならない程度
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今思えば、とっとと病院に行けばよかったと思う。治りたいばっかりの自己判断は危険。
今回はお医者さんと服用を停止する算段にしたけど、失敗。ただし、全然責める気もないし、人によって薬の程度も違うのだろうから、前例が自分の中で出来ただけ良かったのでは、と感じるだけ。

で、大事なことだけど。
「自律神経の状態が良くない」というとメンヘラだとか面倒な人間だとカテゴライズされることが多いんだけど、今回感じたのは、完全にフィジカルの問題だってこと。
私は今ストレスがすごい少ない状態だし、言いたいことを言って食べたいものを食べて生きている。しかも、いろいろ考察を重ねているのでメンタルは強くなってるとさえ感じている。
例えばほかにもアレルギー性鼻炎の疾患を持っているけど、アレルギーは腸内環境が悪くなると出やすい。メンタルダメージから腸内環境が悪くなるとアレルギーが出やすくなるので、前述のカテゴライズを当てはめるとアレルギー疾患も「メンヘラ」になってしまうと思う。
自律神経とメンタルの関係は他の疾患より強いかもしれないけど、別にメンタルの病気ではないと言えると思う。

っていうか、原因がメンタルだったとしても、どっかが痛いとか吐くとか自体は明らかにフィジカルの症状でしょ。フィジカルの症状は薬で何とかできるもんなんで、そういうのはお医者さんにお願いしといて、自分の気持ちの面にだけ自分は集中しときましょ。

個人的な見解なので、心配なことはお医者さんへ!

【考察】仕事をやめた

10年近く務めた会社をやめた。
なぜかうつ状態になったときはやめなかったのに、復帰して半年もたたずに辞めた
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症状としてはかなり改善されていたし、もうむしろそうやって休んだことも忘れていたし、調子は悪くなかった。
悪くなかったからこそ、今までのことを考えた。いろんな人と話した。
その結果、仕事が嫌だというより「一回働くことから離れよう」と思ったことのほうが強くのこった気がする。

よくある、復帰したけど病状が改善しないとか、会社で疎外されたとか、そんなことは全くなかったし、それが原因ではないことははっきりしている。
とにかく、自分自身が抱えている問題はおそらく仕事と並行しながら見つめることは無理なように思えた。

辞めたときにはっきり見えていなかった問題は現状8割くらい特定できる状態になってきた。たぶんこれだな、と思うのが
「嘘をつくこと」。
うそをつくのは誰だってやるような気がするけどそうではなくて。
私は他人からの評価や自分が生きていて良いかどうかがものすごく気になる。
なので、「できない」とか「失敗」「間に合わない」などという考えは絶対にあってはならなくて、口からでる「できる」「やる」は必ずそうならなければいけない。
つまり、自分の居場所を確保するために嘘をつき、その嘘を本当にするために奔走する。

この様な考えを大人になってまで持っているのは重症だと思う。
世の中には「本当にしてしまえばウソにはならない」というような格言めいた発言がたまに見られるけども、それが積み重なれば何が本当かわからなくなる。
どんどん自分がすり減って最後にはいなくなる。

ウソをつくときはとっておきの時だけでいい。
自分の居場所は正直であることによって得られるスペースで十分。

【考察】がむしゃらの限界・共闘の快感

2か月もブログを書かなかったのは良かったことなのかそうでなかったのかわからいけど少なくとも喜びの多い時間であったような気はしている。
だから2か月前の自分のブログを読んでまさかそんなに苦しんでいたとは思えないほど浦島太郎の気分。
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私の生き方のカラーだと思っていたし、私はそれしかできないと思っていたものの1つが「がむしゃらにやる。やったらどうにかなる」ということ。
これが覆されたのがちょうど体調を崩した時で、安堵にもにた感覚で、解放された、もう頑張らなくていい、という気持ちになって、矛盾した心を鼻で笑ったような記憶がある。

それからかれこれ6か月くらいがたって、気づき始めたことが「共闘することの快感」で、これはがむしゃらにやる事と表裏一体な気がしてきた。

まず、がむしゃらに頑張っていた時というのは、実はたいしたことはできてなくて、もちろん1つずつ、いろんなことができていたんだけど、結構できることは頭打ちになりつつあって、そこを無理やり打破しようとした結果倒れたように思う。
がむしゃらには限界がある。リソースも一人だし、脳も1人分しかない(時に、1人分もない)。やれることと考えられることが限られている時点で、できることは限られていたのであって、自分が成長した、できていると思いこめるうちはまだ2本の手でできることの中のものでしかない。

このがむしゃらはずっとはできないし、1人でやっている間は報われない。1つできたことが増えても、それを「報酬」とするのであれば一生頑張り続けなければいけない。そして喜ぶのは自分だけ。

これが、ほかの人間と一緒に共闘し始めたとき、状況が一変する。
目的を共有することができ、それを笑って話せる仲間ができたとき、自分の考えもまあ、悪くないかと思えて来る。
さらにはその目的に向かって一緒に走ってくれるとなればもう怖いものなし。
ここで初めて自分ががむしゃらに頑張ってきたことが報われる。自分が知っていることを相手とシェアする。相手も教えてくれる。1人では知りえなかったことを知れる。目的までのスピードは加速する。加速とともにアドレナリンだかドーパミンだかなんだかよくわからない物質が心の奥底まで支配して、これが快感になる。

できることはその人に頼むとか、任せるとかもこの手の感覚と同じだと思う。できる人をすごいと思う。その代わり自分ができることがあればもっといろんなことができる。一人の力を蓄積してきたのはきっと誰かと交わるためだったのだな。
だから達成した時の喜びは絶対に一人の時より大きい。なぜなら、そこまでの道すがら得たものが、1人でやるときよりも多いから。そのうち楽しそうな様子を見て人が寄ってくる。去っていく人もいるかもしれない。でもすべての人と目的が一緒じゃないことは違和感を産み、それがより良いもの、こと、クリエイティブを作っていく
※違和感からのビッグバンについては近いうちに書き留めておきたいな

誰かと一緒にやることがこんなに楽しいのなら、自分の周りにいる人達はきっと大事な人だ。大事な人の前では素直でありたい。
きっとそうすれば明日もまた一緒に走ってくれるから。

【うつ状態】きた!1回目の揺り戻し

実際は今も揺り戻しの只中ではある。けれど書く。私は痛みをすぐに忘れるから、思い出して辛かろうが、泣こうが喚こうが、書く。
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ちょうど復職して2か月くらいになると思う。それまでは特に大きな問題はなく、自分では順調だと思っていたし、周りもそう思っていたと思う。浮き沈みを繰り返して治っていく病気だとは知っていたけど、自分は単純に体が疲れていただけだからそんなことはきっとない。そう思って、順調に経過していてラッキーだと思っていた。

が、突然。本当に突然揺り戻しが来た。ウソ。本当は突然ではなかった。予兆はあった。自分で蔑ろにした。だって私は「順調に経過してラッキーな人」の類だったはずだったのだから。

まず、仕事が忙しくなった。残業はしない方針に変わったとはいえ、8時間をトップスピードで走りぬき、そのままの勢いで家に帰っていた。昼は弁当を掻き込んで、ようやっと仕事が終わっていた。急ぎの仕事ばかり。数字やデータの細かい仕事が続く。ここ1週間を振り返れば、家に帰ってずっとぐったりしていた。夕方にはいつも頭が痛かった。呼吸が浅くなり、歯を食いしばっていたことが原因だと思うけど、とにかくこれらは関連していると思う。
次に、体調に変化があった。とにかく下痢が多い。ちょっと食べ合わせが悪かったかな、という日があったが、それ以外もおなかを下しやすくなっていた。睡眠はとれていたけれど、朝はいつも眠く、揺り戻しの2,3日前は悪夢でハッと起きてしまうことがあった。
そしてきわめて機嫌が悪かった。冷静になることができなかった。会議中に「その話が無駄なので私やりますね」と言ってしまって、後悔もした(まあ、あれは実際無駄な話だけどね。言い方は良くないね)

揺り戻しが来る日の朝、とても疲れていた。眠たかったし、休もうと思ったけど、週末少し遊びすぎたのだろうと思って仕事に行った。なんと最近の私は体がいくら寝てても頭が動いているのだ。行くと仕事ができてしまう。体と頭がばらばらの状態だった。その日も仕事はできたけれど、帰りの電車で突然泣き出してしまった。
私は、揺り戻しが来たことを、この時確信した。

具体的にどういうことを思うかというと、とにかく絶望。「私は生きるのに不適合だ」とか「どうして生きている価値が見いだせないんだ」といった具合の絶望で、「死にたい」とは全く思わない。ただし、悲しみと絶望は収まらず、薬を飲んでもその日の夜は怖くて仕方がなかった。

「自分がまたもとに戻ってしまう。またあんな風になってしまう。怖い、怖い」

と思いながら、頭の片隅で「このまま明日仕事に行ったら(電車のある所にいったら)やばいな」という冷静な自分がいた。日付が変わる前に上司に連絡して昼まで休みをもらった。
今はだいぶ落ち着いてきたけれど、まだ恐怖から逃れられないでいる。でも、半日でも休んで眠ったことは自分にとって本当に良かった。

今思い返せば予兆があったと書いたけど、あれがまさか予兆だなんて思ってなかった。完全に舐めていた。
私はまた一つ、私のことを学んだ。

【考察】良い人と悪い人の違い

ざっくりとした話。身の回りのことだけ見たときの話。

「良い人」と「悪い人」と、言われたり思われたりする人がおります。これはいろんなことに対して言われることで、優しい人は良い人だし意地悪な人は悪い人、というような具合です。
身の回りのことだけの話だけで言うと、この「良い人」と「悪い人」は非常に曖昧で人によってはそうは思わないとか、まったく逆の意見だとか言われてしまうことも、まま、あります。

どうしてそういう風に思ったり、人によって違ったりするのか。価値観と言ってしまえばそれまでで、価値観の違う人とは一生分かり合えないかもしれないし、そのような諦めも人生には必要かもしれません。

でも、こう考えてみたらどうなんでしょう。
例えば、「綺麗好きなひと」と「ずぼらな人」がいたとします。「全くもってどっちでもない」を0と置いたとき、綺麗好きな人はプラスの方向に30進んでいる人、ずぼらな人がマイナスに30進んでいるとしたら。
お互いに真ん中から30進んでいることには変わりなく、右に行っとるか左に行っとるかだけの違いです。

その上でなぜ好ましいほうとそうでないほうに分かれるのか。これは自分自身がどっちの方向に近いか(理解の距離が近いか)によって測りがちだからです。理解の距離が近いほうが楽に決まっています。

なので、良い人と悪い人はその人達自身がそうなのではなく、外野が勝手に判断しているものであると思ったほうが良いのです。キツイことを言えば、自分から距離の遠い人のことを理解しようとしなかった結果であるかもしれません。
良い人悪い人、と口に出して話をするのは、その人を自分の物差しで測った上に努力を怠った結果だとしたら、軽々しく言えますでしょうか。
「あの人は悪い人」だとか「アイツは嫌なやつだ」と良く言う人が何と言われるか。「程度が知れる、人間が見える」と言われるのです。つまり、その人のものさしが見えてしまってる、ということ。

人間だれしも悪い人はいない、というのは言い得て妙です。先にも書いた通り、その人自身が悪いかどうかではなく、周りが測った結果なのだから。
自分の心の中にそっとしまっておいて、自分を楽にしたり、成長させるためにその物差しを使えばよくって、自分の大きさを測るために使う必要はないのだと改めて思うところです。

【うつ状態】仕事に復帰してみて


仕事を休んで2か月後、仕事に復帰して1か月半くらいたった。日にちだけにしたらちょうど1か月くらいかも。
今ちょうど、気分のもやもやが襲ってきているところ。

仕事中の動きは決して悪くないと思う。最初の1~2週間程度はやっぱり頭に体が追いついていないとか、その逆があって苦労したけども思ったよりもスムーズに仕事に戻れた。それがそのまま続くといいな、と思いながらそうはいかないのかもな、と心の中で思っていた「そうはいかない」が今、来た。

まず、単純に疲れている。活動量や仕事量が絞られているとはいえ、1日の疲れを1日で消化するということが難しくなってきた。

次に、少しの嫌なことですぐストレスを感じるようになってきた。疲れていることが原因な気がするけども、仕事が嫌だというより、理解できていない相手がしどろもどろになったり、打ち合わせ中に、誰かの的外れな発言で不穏な空気が流れるのが前よりも耐えがたい。今、これが割としんどくて仕事の集中力が切れやすく、満足度が低くなる要因になっている。
仕事に関してはこの程度で、割と昔にも経験したことのあるようなストレスだから、うまく消化できるまでは休み休み、気をいれすぎない程度にやるしかない。

最後に、壊滅的に起こっている変化が性欲の減退。全くもって興味がないどころか、嫌悪感すら感じるようになってきた。人の話を聞いているのは平気でも、自分のことを聞かれたり会話したりすることが前に比べるとかなり苦痛だ。割とオープンだった自分からは想像しがたい状態になっている。それに加えて、身体に関する話に敏感になってきた。持病のことや、体系に関して気が向きやすくなってきた。とにかく、どうも「肉体」に対して感受性が高くなりすぎている気がする。
※仕事には関係ないけれど、セクシャルな会話が出そうになると敏感になる感がある。笑ってスルーが難しい。

少しずつ味覚も薄くなっているような意識がある。
あまり重くとらえずに切り抜けて行きたいところ。

【うつ状態】仕事に復帰する

仕事を休んでから2か月後、仕事に復帰した。予定通りの復帰で逆に周りが心配しているように感じるほどだけど、今のところは休む前のような症状は出ていないし、気分も悪くない。
復帰に当たって、会社を含め、いろんな人と会話をした。

まず、担当医と相談した。2か月の予定終了を目前に、会社と話をするか、仕事をするならどうするかを話した。とりあえず休職期間を延ばすまでは行かないけれど、仕事をするなら時間を短くしてもらったり、満員電車を外して出勤して徐々にならそう、ということになった。自分でもそういう風に考えていたし、担当医も賛成してくれたので自分の意思を固めることができた。

次に、友達や家族に話した。このとき、ほとんどの人が私に「少し早いんじゃないか」と言ってくれた。でも、それと同時に「顔色が良くなったね」とも言われた。自分でも顔色が良くなっているのはすごく良く分かっていたので、他人からもそういう風に言われて回復を確信した。

最後に会社の人間と話をした。私はこの会話をするにあたってすごく構えて「戦闘態勢」に入っていた。復帰するにあたっての私の希望にNOが出たときにどうするか。辞めなければいけない結果になったときにどうするか。考えたり調べたりして、診察の清算明細書や処方された薬の説明書などもすべてそろえて持っていった。

結果は肩透かし。会社はとても良く話を聞いてくれた。

人事の担当と話し、そのあと現場の人間と話す段取りになっていたけれど、最初は短い時間からならしたほうがいいのではないかと言ってくれたのは会社のほうからだったし、心配なことがあれば何でも言って良いと言ってくれた。辛い日は遅刻/早退したり、休んだりしても良いとも。安心したけど、あまりにも構えすぎていたので怖くなった。めちゃくちゃ減給されているとか、降格させられているからこんなに甘いんじゃないかと勘ぐってしまうほどだった(そんなことなかったけど)。
結果、1週間は短い時間で勤務、そのあと体が慣れたら通常勤務に戻ることになり、今は通常勤務中。仕事の量も以前に比べたら格段に減っているし、周りの人間が増えている。ある程度環境が整った上で復帰できた。

ただし、最初の1週間はやっぱりきつかった。1日外にいる体力があっても、本を読む集中力があっても、周りにたくさんの人がいて、不規則に会話したり電話が鳴る環境はやっぱり神経が疲れたみたいだった。しかも、凡ミスが多い。校正の目や感覚が衰えていることは明らかだった。

ここで挫けたり、やっぱり私はダメなんだ、と思う人もいるかもしれないけれど、私の場合はいろんな人が声をかけてくれて「焦らなくて良い」と言ってくれた。担当医も、上司も、同僚も、友達も。だから、きっと少しずつ良くなってもとに戻るんだろうな、と思いながら今仕事をしている。現に、本当に少しずつだけど戻ってきている感覚はあるし、疲れも薄くなってきた。

私がこんなに早く復帰できたのは周りの人の支えがあってこそだったと思うし、自分が周りの意見を素直に聞けるようになっていたからだと思う。
今のところは順調そうに感じている。これが続けば良いなと思う。