【うつ状態】きた!1回目の揺り戻し

実際は今も揺り戻しの只中ではある。けれど書く。私は痛みをすぐに忘れるから、思い出して辛かろうが、泣こうが喚こうが、書く。
--------------
ちょうど復職して2か月くらいになると思う。それまでは特に大きな問題はなく、自分では順調だと思っていたし、周りもそう思っていたと思う。浮き沈みを繰り返して治っていく病気だとは知っていたけど、自分は単純に体が疲れていただけだからそんなことはきっとない。そう思って、順調に経過していてラッキーだと思っていた。

が、突然。本当に突然揺り戻しが来た。ウソ。本当は突然ではなかった。予兆はあった。自分で蔑ろにした。だって私は「順調に経過してラッキーな人」の類だったはずだったのだから。

まず、仕事が忙しくなった。残業はしない方針に変わったとはいえ、8時間をトップスピードで走りぬき、そのままの勢いで家に帰っていた。昼は弁当を掻き込んで、ようやっと仕事が終わっていた。急ぎの仕事ばかり。数字やデータの細かい仕事が続く。ここ1週間を振り返れば、家に帰ってずっとぐったりしていた。夕方にはいつも頭が痛かった。呼吸が浅くなり、歯を食いしばっていたことが原因だと思うけど、とにかくこれらは関連していると思う。
次に、体調に変化があった。とにかく下痢が多い。ちょっと食べ合わせが悪かったかな、という日があったが、それ以外もおなかを下しやすくなっていた。睡眠はとれていたけれど、朝はいつも眠く、揺り戻しの2,3日前は悪夢でハッと起きてしまうことがあった。
そしてきわめて機嫌が悪かった。冷静になることができなかった。会議中に「その話が無駄なので私やりますね」と言ってしまって、後悔もした(まあ、あれは実際無駄な話だけどね。言い方は良くないね)

揺り戻しが来る日の朝、とても疲れていた。眠たかったし、休もうと思ったけど、週末少し遊びすぎたのだろうと思って仕事に行った。なんと最近の私は体がいくら寝てても頭が動いているのだ。行くと仕事ができてしまう。体と頭がばらばらの状態だった。その日も仕事はできたけれど、帰りの電車で突然泣き出してしまった。
私は、揺り戻しが来たことを、この時確信した。

具体的にどういうことを思うかというと、とにかく絶望。「私は生きるのに不適合だ」とか「どうして生きている価値が見いだせないんだ」といった具合の絶望で、「死にたい」とは全く思わない。ただし、悲しみと絶望は収まらず、薬を飲んでもその日の夜は怖くて仕方がなかった。

「自分がまたもとに戻ってしまう。またあんな風になってしまう。怖い、怖い」

と思いながら、頭の片隅で「このまま明日仕事に行ったら(電車のある所にいったら)やばいな」という冷静な自分がいた。日付が変わる前に上司に連絡して昼まで休みをもらった。
今はだいぶ落ち着いてきたけれど、まだ恐怖から逃れられないでいる。でも、半日でも休んで眠ったことは自分にとって本当に良かった。

今思い返せば予兆があったと書いたけど、あれがまさか予兆だなんて思ってなかった。完全に舐めていた。
私はまた一つ、私のことを学んだ。

【考察】良い人と悪い人の違い

ざっくりとした話。身の回りのことだけ見たときの話。

「良い人」と「悪い人」と、言われたり思われたりする人がおります。これはいろんなことに対して言われることで、優しい人は良い人だし意地悪な人は悪い人、というような具合です。
身の回りのことだけの話だけで言うと、この「良い人」と「悪い人」は非常に曖昧で人によってはそうは思わないとか、まったく逆の意見だとか言われてしまうことも、まま、あります。

どうしてそういう風に思ったり、人によって違ったりするのか。価値観と言ってしまえばそれまでで、価値観の違う人とは一生分かり合えないかもしれないし、そのような諦めも人生には必要かもしれません。

でも、こう考えてみたらどうなんでしょう。
例えば、「綺麗好きなひと」と「ずぼらな人」がいたとします。「全くもってどっちでもない」を0と置いたとき、綺麗好きな人はプラスの方向に30進んでいる人、ずぼらな人がマイナスに30進んでいるとしたら。
お互いに真ん中から30進んでいることには変わりなく、右に行っとるか左に行っとるかだけの違いです。

その上でなぜ好ましいほうとそうでないほうに分かれるのか。これは自分自身がどっちの方向に近いか(理解の距離が近いか)によって測りがちだからです。理解の距離が近いほうが楽に決まっています。

なので、良い人と悪い人はその人達自身がそうなのではなく、外野が勝手に判断しているものであると思ったほうが良いのです。キツイことを言えば、自分から距離の遠い人のことを理解しようとしなかった結果であるかもしれません。
良い人悪い人、と口に出して話をするのは、その人を自分の物差しで測った上に努力を怠った結果だとしたら、軽々しく言えますでしょうか。
「あの人は悪い人」だとか「アイツは嫌なやつだ」と良く言う人が何と言われるか。「程度が知れる、人間が見える」と言われるのです。つまり、その人のものさしが見えてしまってる、ということ。

人間だれしも悪い人はいない、というのは言い得て妙です。先にも書いた通り、その人自身が悪いかどうかではなく、周りが測った結果なのだから。
自分の心の中にそっとしまっておいて、自分を楽にしたり、成長させるためにその物差しを使えばよくって、自分の大きさを測るために使う必要はないのだと改めて思うところです。

【うつ状態】仕事に復帰してみて


仕事を休んで2か月後、仕事に復帰して1か月半くらいたった。日にちだけにしたらちょうど1か月くらいかも。
今ちょうど、気分のもやもやが襲ってきているところ。

仕事中の動きは決して悪くないと思う。最初の1~2週間程度はやっぱり頭に体が追いついていないとか、その逆があって苦労したけども思ったよりもスムーズに仕事に戻れた。それがそのまま続くといいな、と思いながらそうはいかないのかもな、と心の中で思っていた「そうはいかない」が今、来た。

まず、単純に疲れている。活動量や仕事量が絞られているとはいえ、1日の疲れを1日で消化するということが難しくなってきた。

次に、少しの嫌なことですぐストレスを感じるようになってきた。疲れていることが原因な気がするけども、仕事が嫌だというより、理解できていない相手がしどろもどろになったり、打ち合わせ中に、誰かの的外れな発言で不穏な空気が流れるのが前よりも耐えがたい。今、これが割としんどくて仕事の集中力が切れやすく、満足度が低くなる要因になっている。
仕事に関してはこの程度で、割と昔にも経験したことのあるようなストレスだから、うまく消化できるまでは休み休み、気をいれすぎない程度にやるしかない。

最後に、壊滅的に起こっている変化が性欲の減退。全くもって興味がないどころか、嫌悪感すら感じるようになってきた。人の話を聞いているのは平気でも、自分のことを聞かれたり会話したりすることが前に比べるとかなり苦痛だ。割とオープンだった自分からは想像しがたい状態になっている。それに加えて、身体に関する話に敏感になってきた。持病のことや、体系に関して気が向きやすくなってきた。とにかく、どうも「肉体」に対して感受性が高くなりすぎている気がする。
※仕事には関係ないけれど、セクシャルな会話が出そうになると敏感になる感がある。笑ってスルーが難しい。

少しずつ味覚も薄くなっているような意識がある。
あまり重くとらえずに切り抜けて行きたいところ。

【うつ状態】仕事に復帰する

仕事を休んでから2か月後、仕事に復帰した。予定通りの復帰で逆に周りが心配しているように感じるほどだけど、今のところは休む前のような症状は出ていないし、気分も悪くない。
復帰に当たって、会社を含め、いろんな人と会話をした。

まず、担当医と相談した。2か月の予定終了を目前に、会社と話をするか、仕事をするならどうするかを話した。とりあえず休職期間を延ばすまでは行かないけれど、仕事をするなら時間を短くしてもらったり、満員電車を外して出勤して徐々にならそう、ということになった。自分でもそういう風に考えていたし、担当医も賛成してくれたので自分の意思を固めることができた。

次に、友達や家族に話した。このとき、ほとんどの人が私に「少し早いんじゃないか」と言ってくれた。でも、それと同時に「顔色が良くなったね」とも言われた。自分でも顔色が良くなっているのはすごく良く分かっていたので、他人からもそういう風に言われて回復を確信した。

最後に会社の人間と話をした。私はこの会話をするにあたってすごく構えて「戦闘態勢」に入っていた。復帰するにあたっての私の希望にNOが出たときにどうするか。辞めなければいけない結果になったときにどうするか。考えたり調べたりして、診察の清算明細書や処方された薬の説明書などもすべてそろえて持っていった。

結果は肩透かし。会社はとても良く話を聞いてくれた。

人事の担当と話し、そのあと現場の人間と話す段取りになっていたけれど、最初は短い時間からならしたほうがいいのではないかと言ってくれたのは会社のほうからだったし、心配なことがあれば何でも言って良いと言ってくれた。辛い日は遅刻/早退したり、休んだりしても良いとも。安心したけど、あまりにも構えすぎていたので怖くなった。めちゃくちゃ減給されているとか、降格させられているからこんなに甘いんじゃないかと勘ぐってしまうほどだった(そんなことなかったけど)。
結果、1週間は短い時間で勤務、そのあと体が慣れたら通常勤務に戻ることになり、今は通常勤務中。仕事の量も以前に比べたら格段に減っているし、周りの人間が増えている。ある程度環境が整った上で復帰できた。

ただし、最初の1週間はやっぱりきつかった。1日外にいる体力があっても、本を読む集中力があっても、周りにたくさんの人がいて、不規則に会話したり電話が鳴る環境はやっぱり神経が疲れたみたいだった。しかも、凡ミスが多い。校正の目や感覚が衰えていることは明らかだった。

ここで挫けたり、やっぱり私はダメなんだ、と思う人もいるかもしれないけれど、私の場合はいろんな人が声をかけてくれて「焦らなくて良い」と言ってくれた。担当医も、上司も、同僚も、友達も。だから、きっと少しずつ良くなってもとに戻るんだろうな、と思いながら今仕事をしている。現に、本当に少しずつだけど戻ってきている感覚はあるし、疲れも薄くなってきた。

私がこんなに早く復帰できたのは周りの人の支えがあってこそだったと思うし、自分が周りの意見を素直に聞けるようになっていたからだと思う。
今のところは順調そうに感じている。これが続けば良いなと思う。

【うつ状態】濾しとられた「嫌だったこと」

体調が少しずつ改善してきて体力が戻ってきて「何が一番嫌だったか」ということにだんだん気づき始めた。何が原因でうつ状態になったのか、とはまた別の話で、その過程で一番嫌だったこと、という話。うつ状態になるときは、複合的な理由が原因になっているし、しかもそれ自体を思い出すことも考えることもできなかったので、今回、絶対的に心に留めておく必要があるものに気づいたんだと思う。

結局、私が今のところ一番嫌だったのは「心ないことを言われたこと」だった。体力がなくなるほど働いたことでも、サービスしすぎたことでもなく、言われたことが心にこびりついて離れない。

その人は何の気なしに言っただけかもしれないし、私も自分の疲れからそれを重く受け止めてしまったのだと思っていた。でも、油が紙を通して濾されて行く間のような、さらりとした感覚はないものの、確実に体と心が濾過されて行った結果、「言われたこと」が残った。

嫌なものは、どんなに疲れていようが、元気でいようが、「嫌」で正解だったんだ。私の施された教育と価値観で感じたことは、私にとって正しかった。私は私の感じたことを「感情的」と思わず、「価値観」として判断してよかったんだ。

ただ、言われたことは消えないし、言ったことは消えない。だから、これからはできるだけ、嫌なことを言われたら「それは嫌だな」と意思表示することが必要だと思っている。そしてそれを相手にも許すこと。これを伝えない限り相手は同じことを言って来るし、「嫌だと思った」「嫌だと思われた」という事実がどんどん増えて行く。時には喧嘩するのだって必要なのかもしれない。

私は今、この濾しとられた「嫌だったこと」に少し心を支配されている感じがする。さらに悪いことに当の本人が近くからいなくなってしまったので殴ることも責めることもできない。イライラして、不愉快だ。
意思表示をしないとこれが何度も訪れることになる。

当面の感情は、きっと吐き出すことで楽になるとは思う。だから、今後は心に留めて、うまくこれを回避したいけど…できるかな。

【うつ状態】行って良かったところ/やってよかったこと

 

メモに。
人によって合う合わない、得意不得意があるのであくまでも個人向け。
「寝るしかない」状態の時には無理して何かをする必要はない、ということを念頭に置いたうえで「何か」の助けになるように。

≪家の中で≫
◆料理を作ること
 ⇒料理を作るには材料を準備して、量を把握し、下ごしらえをして調理して盛り付ける、というところまで作業が必要で、頭を使うのでリハビリ・回復にとても良い。エネルギーがないときは得意料理でも良いが時間がかかるものが好ましい(何もしていない、という時間が少なくなるので虚無感が少なくて済む気がする)レシピとしてはパンなどの発酵が必要なもの、スペアリブなどの味の漬け込みが必要なもの、ポトフなどの煮ている時間が長いもの。下ごしらえの時間が長い(工程が多い)とそもそも取り掛かれなくなる可能性が高くなるので「何もしないけど調理が続いている状態」のものが好ましい。

◆洗濯
 ⇒1日のリズムが立てられない時は洗濯から始める。服がなければ布団のシーツやカーテンを洗う。さっぱりした気分になるし、汚れた部屋では新しいことをやろうという気にならないので、少しずつでもやっていたほうが良い。掃除も同じ。

◆映画・ドラマを見る
 ⇒映像配信サービスなどで見たかった作品を見る。特にドラマは観始めると「明日もまたみよう」と必然的に明日のことを考えるようになる気がする。

≪外で≫
◆本を読むこと(外で読む)
 ⇒読みたい本を公園に持っていって読む。飲み物や、寒いときには軽い上着などが事前に準備できているとなお良い。音楽は案外ない方が良いような気がする。

◆本を読むこと(図書館で読む)
 ⇒家の近くの図書館で読む。もしくは、会社の近く、それと同じくらいの移動を行った先の図書館で読む(復職前のリハビリで毎朝会社の近くの図書館に行っていた)。テーマはなんでも良く、子供向けの本でも良い。迷ったら好きなことや動物の本、食べ物の本でも良い。例えば「チーズ」一つとっても、歴史や図録、レシピ、それを題材にした本など、山のように本はあるので図書館に行くまでにどんな本を読むか決めておくと図書館でも億劫にならなくて済む。とくに「好きなもの」の本を読むと学びが多く、収穫したことによる満足度が高くなる。

◆体を動かすこと(軽)
 ⇒散歩をする場合は1時間程度。行くあてがなければ、カフェをなどを見つけておいてそこに通うのも良い。お寺や神社はどこにでもたくさんあるので、そういった場所を巡ってみるのも良い。

◆体を動かすこと(重)
 ⇒ジムに行く。1日空いている場合は朝から行く(集中しやすい)。ノートに毎回記録を残してどの程度続いたかを見ると達成感が得やすく、目標が立てやすい。

◆ネイルをする
 ⇒あまり人のいない公園などがあれば外でも良いと思う。気持ちいいし、早く乾く。風のない日に。凝ったものでなければベンチで十分。

これがサマになってくると時間が「足りない!」と思う用になってくるので、そう感じられるようになって来たらほぼほぼ回復OK!
外に行くときは自分が家で飲みなれているものを持っていっておくのが良い。パワーがないときは喉が渇いて「飲むものを探す」「新しい味を受け入れる」のにもエネルギーを使うので、お茶やコーヒーが手元にあると楽に1日を過ごせる。

【考察】自分の良いところを認める

自分の良いところを見つけて認めるのはなかなか難しい。
こと私に関してだけで言うと、良いところを見つけられないどころか認めない。
「認めたくない」に近い。しかも自分に良いところがあるように思いたくない。

認めたくない理由が長年わからなかったけども、ようやく見えて来た。
これは、「成果物をすべて自分の努力によるものにしたい」「だれよりも努力したと思いたい」という心の欲求だった。

たとえば、「足が速くなりたい」という目標があったとする。この時、達成値を100とすると、こんな風なハンデ加点が考えられる。(個人的な加点例!)
・走るのがそもそも好きだ:20点
・走るのに適した体格で生まれてきている:30点
・教えられたことをノートにきれいに整理できる:30点
・良いコーチや指導者がいる:20点
・前向きな考えで練習に耐えられる:20点

などなど。
もちろん「恵まれていたところ」もあるけども、例えば前向きな考えができるところは「いいところ」。
この加点ハンデがあると単に点数式にした場合、100に達するまでに努力して獲得していく得点が少なくなる。
私は「努力獲得得点100」が好きで、そうでありたかった。自分は、0からできる人間だと思いたかった。
だから逆境で力を出しやすいタイプだったし、ある程度の年齢やレベルまではこの考え方がむしろ歓迎されていたように感じる。

ただし、これは"他人が上限を決めたレース"の中でしか通用しない。
自分がこうなりたい、ここまでうまくなりたい、という考えには100という上限はむしろ「妥協」でしかなく、終わりがない。
さらに100に近づくにつれて100は遠くなり、今まで努力してきた得点は小さくなる。

私は「歌がうまくなりたい」という目標があるのでこれを達成するためにいろいろな努力や工夫をする。自分の好きでやっていることだから続けられる。
とはいえ、進歩が遅いときや思い通りにならない時、いやになることもある。
状況としてはスランプだったり、体調が思うようにコントロールできなかったりといろいろなことが考えられるけど、これに「自分の良さを認めない」というものが加わることがある。
私の喉は歌う楽器としては非常に扱いやすく、質が良い。また、体も響く体を両親からもらい、ある程度のところまでは自分で思い通りにできた。
その代わり、私はサボることを無意識に身につけてしまっていた。喉が動くからと言って適切な歌い方を学ばなかったり、御座なりにした。最低なことに、私はそれに気づいていた。すべてを自分の努力得点にしたいと言いつつ、自分が持っている「良いところ」を直視しないことで自分の成長を妨げた。
さらに最悪なことに、それを他人から指摘されることになる。恥ずかしくて情けなくて仕方なかった。

自分の良いところやハンデは素直に認めないと次へは進めない。
悪いところは見つけやすいけど、いろいろなことを認めることで次に進みやすくなるはず。
自分で自分を認めることでもっとなりたい自分になれるんだろうな。